「両国の水茶屋を仕舞った時の借りがあったので、私と別々に奉公したんです。私は——今はしたけれど浅草の料理屋へ、妹は堅気がいいと言うんで、湯島ゆしま山名屋五左衛門やまなやござえもん様へ——」