“尉遅乙僧”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
うっちいっそう | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
唐にいた西域人尉遅乙僧がこの壁画のような画を描いていたとしても、それは記録によって知られるにすぎない。西域の発掘品のうちには一としてこの画と同じ気分を印象するものはない。
“尉遅乙僧”の解説
尉遅乙僧(うっち いっそう、コータン語:)は、唐初の画家。西域の画法を唐にもたらした。
張彦遠『歴代名画記』巻九によると、于闐(ホータン王国)の出身で、父の尉遅跋質那も隋に仕えた高名な画家だった。父を大尉遅、子を小尉遅と呼んだ。
朱景玄『唐朝名画録』では吐火羅国(バクトリア)の人とし、甲僧という兄がいたとするなど、『歴代名画記』とは説明が異なる。尉遅という姓はホータン王国の国姓であり、『歴代名画記』の方が正しいと思われる。
外国や菩薩の絵をよくし、その技法は「屈鉄盤糸」(鉄を屈し糸をわだかまらせる)と称された。『歴代名画記』巻二では尉遅乙僧を呉道玄・閻立本とともに唐代のもっとも優れた画家として挙げている。
(出典:Wikipedia)
張彦遠『歴代名画記』巻九によると、于闐(ホータン王国)の出身で、父の尉遅跋質那も隋に仕えた高名な画家だった。父を大尉遅、子を小尉遅と呼んだ。
朱景玄『唐朝名画録』では吐火羅国(バクトリア)の人とし、甲僧という兄がいたとするなど、『歴代名画記』とは説明が異なる。尉遅という姓はホータン王国の国姓であり、『歴代名画記』の方が正しいと思われる。
外国や菩薩の絵をよくし、その技法は「屈鉄盤糸」(鉄を屈し糸をわだかまらせる)と称された。『歴代名画記』巻二では尉遅乙僧を呉道玄・閻立本とともに唐代のもっとも優れた画家として挙げている。
(出典:Wikipedia)