直義ただよし)” の例文
自分が駈けつけてゆくまで弟の直義ただよしがよく敵の大軍をささえて生きているかどうか。あれこれ、限りのない惑念も湧いたであろう。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おん志と違いたまい、足利の手に宮家には、お渡りあそばさるる御身おんみの上となられ、遥々鎌倉へ移らせられ、苛察かさつ冷酷の典型的悪将、尊氏の舎弟直義ただよしの手にて、二階堂ヶやつ東光寺内の
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この突発事で、とくに緊迫した混雑を呈したのは、三条錦小路の辺で、当然、それは直義ただよしのいる一殿でんから庭上にまでおよんでいた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もちろん、足利がたの浜の手、少弐頼尚しょうによりひさの一軍は、すでに駒ヶ林へその先駆せんくを突ッかけて来、直義ただよしの本軍も、西国街道を、驀進ばくしんしていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
よしよし、あとで直義ただよしいてやろう。この万里腥風ばんりせいふうのような血戦場の中で、直義にもそんな一面があろうとは、知らなかった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それがしかも、尊氏誅伐ちゅうばつ宣旨せんじを南朝から申しうけて、公然と、義父直義ただよしあだともとなえているのである。小癪こしゃくとも何とも言いようはない。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、俄な申し入れにうろたえはしたが、しかし寺中をあげて、尊氏や直義ただよし以下のために、客殿きゃくでんげ、この不時の珍客たちのいこいに供えた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足利直義ただよしの陸上軍が最初にぶつかった敵なので、わざと花々しく書いたものとおもわれる。が、城は小城にすぎず、兵数もまた少なかった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そのご、何かよいお考え直しがおつきでございましょうか。直義ただよしもそれのみが苦慮され、一同もひたすらお案じ申しあげている次第ですが」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
畢竟ひっきょう、これはみな大塔ノ宮の背後力によるものと人は察した。高氏もそう解した。直義ただよし、師直らは、うすら笑って、歯牙しがにもかけぬ風だった。
しかし直義ただよしがえらんでこの大秘事をいいつけた男である。身分は低くても猛勇で正直者と見られていたのはたしかであろう。
海上からは尊氏の数千ぞうの兵船、陸地から直義ただよしの万余の兵。むかしの兵庫沖から須磨口から、今日の烈風のごとく、咆哮ほうこうして来たことだろう。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、これがすむと、こんどは十二月の中旬、足利家へたいして、足利直義ただよしへの、鎌倉赴任が、朝廷から命じ出された。
「は。……戦場より抜けてこれへ急使としておいでなされた下御所しもごしょ直義ただよし)さまのお旗本、上杉伊豆守重房、須賀すが左衛門、そのほか十騎ばかりの」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
京都の北朝ほくちょう偶像ぐうぞうである。傀儡師かいらいしの尊氏にはさしたる戦意もない。直義ただよしは一驕者きょうしゃにすぎず、次第に武家からも見離されよう。きざしはもうみえている。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ほどなく、直義ただよしがみえ、直義についている上杉伊豆守重能しげよしそのほかもみな集まって、急遽、宵のくちの軍議となった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その疑心暗鬼を、日がたつほど、いよいよ深めていたのは、尊氏でなく、なぜか直義ただよしと、その周囲の者たちだった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おそらく弟直義ただよし師直もろなおかを使者として、なにか申し入れて来るだろう。道誉のおもわくはそのときにあったのだ。翻弄ほんろうも自由、生殺与奪せいさつよだつもわが手にある。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それの証拠には、軽馬軽兵がいいとして、手兵の半数も、途中から鎌倉の直義ただよしの許へ送り返してしまっている。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
火を見て、兄の迎えに来ていた直義ただよしは、二重の不安に、いよいよ兄高氏の身が、心もとなく思われた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幕命がくだったのは、おとといだったが、ゆうべの夜半までは、高氏、直義ただよしをかこむ評議に過ぎ、かたく門扉もんぴをしめたまま、なんのうごきもしていない足利家だった。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そちは摂津の住吉で名も具足師の柳斎と変え、都の情勢をうかがッては、それを弟の直義ただよしへ、常々、知らせてくれていたが、その都度つどの便りは、この高氏も見ておったぞ。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それに対し、尊氏直義ただよしの軍は、圧倒的にすぐれていた。作戦、地勢の用いかたも、じつにうまい。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「祝言の前に国もとから母上の清子どのも見えるそうじゃ。舎弟直義ただよしどのから草心尼までが、あの覚一をも連れて、はや足利ノ庄を立ったと、たった今、早馬があった」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
するといま柳の間を縫って、直義ただよしの姿が池むこうの陣幕とばりのほうへ歩いて行くのがみえた。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、雀躍こおどりして来た若者があった。高氏の実弟、ことし十七の直義ただよしなのだ。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「暑いなあ。このぶんでは、いくさは夏戦なついくさになるだろうよ。なあ直義ただよし
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
直義ただよしは、惜しくも兄の高氏へ、近づきそこねた。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
直義ただよしにいいつけた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)