産土神うぶすながみ)” の例文
ああ誰かわが産土神うぶすながみをかかる遠方へり去れるぞと嘆くを見かねて、一里半ばかりその女児を負い送り届けやりし人ありと聞く。
神社合祀に関する意見 (新字新仮名) / 南方熊楠(著)
館の御子が、太政官下文をいただき、御厨の職をうけられたと聞き、五風十雨ごふうじゅううの喜憂と共に、土着民はすぐ、産土神うぶすながみに集まった。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吉田(現今の豊橋市)産土神うぶすながみ(天王社)の祭は、正月十四日なり。榎玉争ひ赤鬼からかひの式等終れば、神輿渡御になる。
獅子舞雑考 (新字新仮名) / 中山太郎(著)
へいから石垣へ、そのそと産土神うぶすながみの小さい森へ、肥料溜ひれうだめから空井戸へ、物置から裏の流れへと、暮れて行く陽の光をしむやうに、大急ぎで見廻りました。
三河の横山という村では、産土神うぶすながみ白鳥しらとり六社さまの御神体が片目でありました。それ故にこの村には、どうも片目の人が多いようだということであります。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
雑煮を祝ったあと、おせんは幸太郎を背負って、産土神うぶすながみ御蔵前八幡おくらまえはちまんへおまいりをし、それから俗に「おにやらい」という修正会しゅしょうえを見に浅草寺へまわった。
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
三年前、産土神うぶすながみの奉納仕合に、甚兵衛と惣八郎は顔が合った。その時に甚兵衛は敗れたが、それ以来、甚兵衛はその敗戦をつぐなうため、身を砕いて稽古をした。
恩を返す話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
やれ天狗てんぐだの、狐だのと、いろいろ取沙汰もありましたが、お敏にとっては産土神うぶすながみの天満宮の神主などは、必ず何か水府のものに相違ないと云っていました。
妖婆 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
慶応義塾の下に春日神社が今でもあるが、あれが、私の産土神うぶすながみで、あの社へお宮参りもしたのであった。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
山王権現は徳川家の産土神うぶすながみ。半蔵門内で将軍家の上覧じょうらんに入れる例なので、御用祭とも、天下祭ともいう。
麹町永田馬場の日吉山王、江城こうじょう産土神うぶすながみとして氏子うじこもっとも多く、六月十五日はその祭礼である。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
このかたがこちらの世界せかいわたくし指導しどうしてくださる産土神うぶすながみのお使者つかいだったのでございました……。
まづのし昆布を出す。浴後昼食をはつて、先当地之産土神うぶすながみ下之御霊しものごりやうへ参詣、(中略)北野天満宮へ参詣、(中略)貝川橋を渡り、平野神社を拝む。境内桜花多く、遊看のともがら男女雑閙ざつたうす
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
今もなお三社祭りと称しておりますが、中でも山王権現は江戸っ子たちの産土神うぶすながみということになっていたものでしたから、いちばん評判でもあり、またいちばん力こぶも入れたお祭りでした。
故に古来最寄りの地点に神明しんめい勧請かんじょうし、社を建て、産土神うぶすながみとして朝夕参り、朔望さくぼうには、必ず村中ことごとく参り、もって神恩を謝し、聖徳を仰ぐ。
神社合祀に関する意見 (新字新仮名) / 南方熊楠(著)
自然はみなだ。一冊の書物に師となることばがあれば、一木一草にも師となる声はあろう。そう考えて、彼は自嘲の一詩を旅の記にし、故郷ふるさと産土神うぶすながみの前にぬかずき、嬰児あかごにかえったような心で
剣の四君子:03 林崎甚助 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼はすでにかつての旗上げの日、郷土の産土神うぶすながみ願文がんもんをささげて
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『早速、産土神うぶすながみへ、お礼詣れいもうでに』