“梓行”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
しこう60.0%
しかう40.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
何故というに天保八年の春に梓行しこうせられた『広益諸家人名録』はつとに詩人として枕山の名と住所とを掲げているからである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
べんジ其名実ヲただシ集メテ以テ之ヲ大成シ此ニ日本植物誌ヲ作ルヲ素志そしトナシ我身命ヲシテ其成功ヲ見ント欲スさきニハ其宿望遂ニ抑フ可カラズ僅カニ一介書生ノ身ヲ以テ敢テ此大業ニ当リ自ラなげうツテ先ヅ其図篇ヲ発刊シ其事漸クちょつきシトいえどモ後いくばクモナク悲運ニ遭遇シテ其梓行しこうヲ停止シ此ニ再ビ好機来復ノ日ヲ
アントニオは古の名家の少時の作を世におほやけにせしものあるを見て、或はおのれのをも梓行しかうせんとすることあらんか。そは世のあざけりを招くに過ぎず。
さきのとし玉山翁が梓行しかうせられし軍物語いくさものがたりの画本の中に、越後の雪中にたゝかひしといふあり。文には深雪みゆきとありて、しかも十二月の事なるに、ゑがきたる軍兵ぐんびやうどもが挙止ふるまひを見るに雪はあさく見ゆ。