朱舜水しゅしゅんすい)” の例文
この文章は、光圀みつくにの起稿ではない。光圀が尊敬し師事していた朱舜水しゅしゅんすいの文集のうちにある楠公画賛がさんの一文をとって、碑銘に用いたものである。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神田川にそそぐお茶の水の堀割は、両岸の土手が高く、樹木が鬱蒼うっそうとして、水戸みと家がへいした朱舜水しゅしゅんすいが、小赤壁しょうせきへきの名を附したほど、茗渓めいけい幽邃ゆうすいの地だった。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
光圀みつくに様はよいお方。朱舜水しゅしゅんすい先生もよいお方。そうしてお屋敷は立派で、皆さん大変親切だけれど、やっぱり妾は杉窪の方がいいよ。三吉お前もそうだろうね。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それからしばらくして水戸という駅を通過し、これは明末の義臣朱舜水しゅしゅんすい先生の客死されたところ、Wandervogel の大先輩の悲壮の心事をしのび、少しく勇気を得て仙台に着いた。
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「久しぶりだなあ。朱舜水しゅしゅんすいの建碑式以来だろう」
歯車 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
と、光圀の師朱舜水しゅしゅんすいは、まだ紋太夫の少年のうちから、かれの将来を案じて、ひそかに注意したこともある。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
みんの遺臣朱舜水しゅしゅんすい、三筋に別れている峠道の、その一つをばたどっていた。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
剣は真陰流しんかげりゅうをきわめ、幼年から朱舜水しゅしゅんすいに師事し、また心越禅師しんえつぜんじ侍座じざして、侍ひとかどのたしなみはおさめた者とは——老公の眼からも、今は見えないほどな彼の困り方である。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
発掘したのは水戸光圀みつくにと、朱舜水しゅしゅんすいとの一行なのであった。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)