宿老しゅくろう)” の例文
幕府の老中から通知があって、伊達陸奥守だてむつのかみの一族伊達兵部少輔ひょうぶしょうゆう、同じく宿老しゅくろうの大条兵庫、茂庭周防もにわすおう、片倉小十郎、原田甲斐かい
彼はえて、ここで傲語ごうごはしなかった。信長の出馬の意志をはばめている陰にも、微妙な宿老しゅくろうたちの私心が作用していることが見えいているからである。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
将軍(尊氏)は、執事の高ノ師直や関東いらいの宿老しゅくろうをつれて、水軍のお座船(旗艦)へ。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
原田は古くから宿老しゅくろうの家柄であり、伊達家では一、二の臣といわれて来た。政宗が仙台に移ったとき、原田家も柴田郡船岡へ替り、以来、百年ちかいあいだ、館主たてぬしとして船岡を領していた。
主賓は伊達安芸だてあき、つぎに現職の家老、奥山大学、大条兵庫、古内主膳。また「一家いっか」の格式である片倉小十郎。ほかに原田甲斐、富塚内蔵允くらのすけ、遠藤又七郎、この三人は「着座ちゃくざ」といって宿老しゅくろうであった。