外向そむ)” の例文
くるりと顔を外向そむけて反り返った。彼は腹が立ってきた。其処に依子を放り出して縁側に出て屈んだ。依子はまたわっと泣き出した。
子を奪う (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
二人とも、灯がつくと涙の顔を外向そむけた。八郎太は、二人の娘の顔をちらっと見たが、平素のように、何を泣く、と叱らなかった。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
まさかとは思うものの、何だか奥歯に物のはさまっているような心持がして、此度こんどはわたくしの方が空の方へでも顔を外向そむけたくなった。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ネブカドネットの大虐殺でさえ、恐らくこの惨状には及ばぬだろう……さすがに海の猛者もさたちも、この凄絶な光景には眼を外向そむけた。
流血船西へ行く (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
こうして長篇全盛の世となるに及んで、作者は競って工夫を凝らし、仇敵討物はますます凄惨な作意に走ってその残酷おもて外向そむけしむるものが多かった。
仇討たれ戯作 (新字新仮名) / 林不忘(著)
一度、軍治と卯女子とこの路を降りる時、二階で誰かと対談してゐる彼を見たが、姉は口早に、見てはいけぬ、と、軍治に鋭く言ひ自分も殊更顔を外向そむけた。
鳥羽家の子供 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
熱いまぶたが、堪らなくなって、日吉はもう顔を外向そむけていた。——気がついてみると、乙若の姿も、もう彼方あなたへ歩いているし、松原内匠も先の方を歩いていた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お隅は顔を外向そむけて、嗚咽すすりあげました。一旦なおりかかった胸の傷口が復た破れて、烈しく出血するとはこの思いです。残酷な一生の記憶おもいでは蛇のように蘇生いきかえりました。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
あの、卑猥ひわい牝豚めすぶたのような花子につちかわれた細菌が、春日、木島、そしてネネと、一つずつの物語を残しながら、暴風のように荒して行った痕跡あとに、顔を外向そむけずにはいられなかった。
腐った蜉蝣 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
がその次の男に眼を移した時には、さすがに貌を外向そむけねばいられなかった。
いのちの初夜 (新字新仮名) / 北条民雄(著)
鷹揚おうような牛が洒落しゃれた人間どもにいじめられてる。必ず殺されると決まってることも知らずに、牛はいま、何とかして生きようと最善を尽してるのだ。その努力が、また私をしておもて外向そむけしめる。
お島はつんと顔を外向そむけたが、涙がほろほろと頬へ流れた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
博徒無頼漢の喧噪を主とした芝居で、その絵看板の殺伐残忍なことは、往々顔を外向そむけたいくらいなものがあった。
裸体談義 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
合爾合カルカ姫は黙然と顔を外向そむけている。四天王ら、口々に、「おめでとうございます。」「お喜び申し上げます。」などと祝いを述べて、いっせいに乾杯する。
朱実が、顔を外向そむけているのもかまわず、若い男の羞恥はにかみと、一方のねたみとを、意識していうことだった。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
親とは言ながら奥様の手前もあり、私は面目ないと腹立はらだたしいとでしかるように言いました。もう奥様は其処へいらしって、燈火あかりに御顔を外向そむけて立っておいでなさるのです。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
伊兵衛はさえの追求するような眼から外向そむきながら、ふと述懐するような調子で云った。
彩虹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
しかし、その肉と骨との相尅するような、鈍い、陰惨な音を聴くと、却って、不思議そうに見守っていた他の座員達の方が、或る者は思わず唇を噛締め、又或る者は顔を外向そむける程だった。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
我が家に近い桃林寺とうりんじの裏手では酒買いに行く小坊主の大胆に驚き、大岡殿おおおかどのの塀外の暗さには夜鷹よたかいど仲間ちゅうげんむれに思わずも眼を外向そむけつつ、種彦はようやくそのいえかどにたどりついた。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
集った人々も思わず提灯の灯を外向そむけて、なかには念仏を唱えた者もあった。
「あらましは余も聞き及んでおる」光政は眼を外向そむけながら
備前名弓伝 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
春日は、まぶしげに顔を外向そむけて苦笑いをし
腐った蜉蝣 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
梶川は、白髪しらがじりのびん外向そむけて
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人力車じんりきしゃから新橋の停車場ていしゃじょうに降り立った時、人から病人だと思われはせぬかと、その事がむやみに気まりがわるく、汽車に乗込んでからも、帽子を眉深まぶかにかぶり顔をまどの方へ外向そむけて
十六、七のころ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
彼女かれは、われにもなく眼を外向そむけながら
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
黒吉は顔を外向そむけた。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
清岡は煙草のけむりにむせた風をして顔を外向そむ
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)