鵜殿甚七うどのじんしち)” の例文
従来、今川家が認識するところの尾張の国力や、また、信長の評価と、きょう鵜殿甚七うどのじんしちが報じて来たところのそれとは、非常な相違がある。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元康が、義元のゆるしをようやく得て、先祖の墓参にと、岡崎へ帰った時、その途中から姿を見せなくなったきりの家来——鵜殿甚七うどのじんしちなのだ。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元康は、苦笑したが、鵜殿甚七うどのじんしちと会っていたことは、夫人にも明らさまにいえなかった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)