上泉信綱を論じている段に「言継卿記」の日記を引いてあるなどの点は、直木もあれを書くには、相当、武蔵研究者の反駁を予期して、みっしり調べて書いたものと思われる。
“言継卿記”の解説
『言継卿記』(ときつぐきょうき)は、戦国期の公家、山科言継の日記。1527年(大永7年)から1576年(天正4年)のほぼ50年に渡って書かれているが、散逸部分も少なくない。
日記に登場する人名は数多く、武家に限ってもおよそ1200人を超える。その内容は皇室御領や有職故実、医薬・音楽・文学・芸能、京都の町衆や武士などによる政治動向、社会的事件まで広範にわたっている。戦国時代の日記はその数が限られるなか、『言継卿記』においては長期にわたる記述が自筆原本の形で今日まで伝わっている。また、貴族でありながら庶民と積極的に交流し、市井の人々の日常生活をうかがうことができる記録という点においても特異な史料である。
(出典:Wikipedia)
日記に登場する人名は数多く、武家に限ってもおよそ1200人を超える。その内容は皇室御領や有職故実、医薬・音楽・文学・芸能、京都の町衆や武士などによる政治動向、社会的事件まで広範にわたっている。戦国時代の日記はその数が限られるなか、『言継卿記』においては長期にわたる記述が自筆原本の形で今日まで伝わっている。また、貴族でありながら庶民と積極的に交流し、市井の人々の日常生活をうかがうことができる記録という点においても特異な史料である。
(出典:Wikipedia)
“言継”で始まる語句