猪熊西頬いのくまにしつら)” の例文
またその住処も、応永二十一年の文書には前記の如く、信濃小路猪熊西頬いのくまにしつら一町とあるが、建武の頃にはそのほかにも方々に分散していたものと解せられるのである。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)