錦城齋典山は人も知る金襖、世話物の名人であるが、その典山にして晩年は「怪談小夜衣草紙さよごろもぞうし」を読むたびに、左のごときことあったと増田龍雨翁は「木枕語」なる随筆中で憤慨されている。