坊門信清ぼうもんのぶきよ)” の例文
十三歳の十二月、後の内大臣坊門信清ぼうもんのぶきよの女が北の方となって下ったときから、京都趣味は実朝の身辺にあったが、もともとは実朝の胸の中にあった風雅心である。十四の年から和歌を作りはじめる。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)