周瑜公しゅうゆこう)” の例文
呉の国柱と仰がれた人は、その初めを周瑜公しゅうゆこうとなし、次いで魯粛公ろしゅくこうがこれをけ、先頃までは、呂蒙公りょもうこうを以て、国家の大事も、この人あればと、衆みな信望していたものでした。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)