といって常に訪問して円頓戒をうけ、念仏の法門を談ぜられたが、生年五十四歳、正治二年の七月十四日に出家をとげ、同じ十六日に往生を遂げた。
そこで法然もあわれみが殊に深く浄土の法門を教え、円頓戒を附属した。そこで道具、本尊、房舎、聖教、皆相続されることになった。法然の最期の時が近づいた際に勢観房は
“円頓戒”の解説
円頓戒(えんどんかい)は、最澄が唱えた、天台宗やその流れを汲む鎌倉仏教の各宗派(浄土真宗など一部を除く)で授けられる戒であり、完全にして自在な修行者のたもつ戒のこと。
具体的には、『梵網経』が説く大乗菩薩戒で、十重禁戒と四十八軽戒を指し、日本の天台宗が主張した大乗戒を、やがてこの用語で呼ぶようになったものである。円頓とは、円満頓速の意で、全ての物事をまどかに欠ける所なく具え、たちどころに悟りに至らせるのをいい、究極とすることから称された。
(出典:Wikipedia)
具体的には、『梵網経』が説く大乗菩薩戒で、十重禁戒と四十八軽戒を指し、日本の天台宗が主張した大乗戒を、やがてこの用語で呼ぶようになったものである。円頓とは、円満頓速の意で、全ての物事をまどかに欠ける所なく具え、たちどころに悟りに至らせるのをいい、究極とすることから称された。
(出典:Wikipedia)
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