“タラス”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
怛邏斯66.7%
怛羅斯33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
之は怛邏斯タラス城の戰役前正に五年のもので、マホメット教國の産紙と支那紙との原料相違如何を調査するに當つて、有力の材料たるべきものである。
紙の歴史 (旧字旧仮名) / 桑原隲蔵(著)
殊に唐の至徳二載(西暦七五七)の『十戒經』は怛邏斯タラス城の戰役後六年目のもので、西本願寺所藏の天寶五載の牒状と共に支那紙西傳時代に關係ある重要の材料である。
紙の歴史 (旧字旧仮名) / 桑原隲蔵(著)
西暦八世紀に有名な唐の玄宗の時代になると、かのマホメットの建てたサラセン國、即ち唐でいふ大食國と唐との間に戰爭が起りまして、二國の軍隊が中央アジアの怛邏斯タラスといふ處で戰爭をした。
東洋人の発明 (旧字旧仮名) / 桑原隲蔵(著)
怛羅斯タラス川(今の中央アジアの Tarâz 川)の附近に大食タージを撃つたが、反つて Ziyâd ibn Sâlih の爲に大敗を蒙つた。
紙の歴史 (旧字旧仮名) / 桑原隲蔵(著)
東西の史料が正しく會戰の月を傳へたものとすれば怛羅斯タラス城の戰は囘暦百三十三年十二月の末、天寶十載七月の初の出來事と認定せなければならぬ。
紙の歴史 (旧字旧仮名) / 桑原隲蔵(著)