陶冶とうや)” の例文
平民たりとも武事を好む者はその才芸器量に応じすべて士族となす事、全国男子の風教はいわゆる武士道をもって陶冶とうやする事
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
教育は人格を陶冶とうやする方法であるが、人格を陶冶するにはその被教育者の投ぜられたる特殊の境遇事情に適応することを必要とするのである。
彼は知己の感を以て、その子弟を陶冶とうやせり、激励せり、彼は活ける模範となりて、子弟にさきだちて難にじゅんぜり。否な、子弟のために難にじゅんぜり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
ほとんど奇蹟きせきにも等しい努力を始めて陶冶とうやに陶冶を重ね、八ヶ年の努力の後、ようやく目的のものを得られたという。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
すさませられたりした人間を伴って行くことが、別の世界の陶冶とうやの一つの趣味であるとさえ考えられていたのです。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
教頭の横淵よこぶち十九郎が彼を自分の後任に推し、柳生家で免許を取るように、江戸へゆく段取をつけたのは、腕の修業よりも、性格の陶冶とうやが目的であったらしい。
ちくしょう谷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
自分がかつてその下に訓練され陶冶とうやされた紀律の命ずる方向に向っては、絶対盲目的に努力し得ること。それ以外のことに対しては全然意志的な努力を試みない。
斗南先生 (新字新仮名) / 中島敦(著)
そうしてその寛容によって、寛容する人自身がどれほど品性を陶冶とうやされるかを学びました。僕はまた自分の愛を成就するためにはどれほどの勇者になりうるかを学びました。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
自ら感化院をはじめて不良少年の陶冶とうやや罪人の矯正をしようという計画を立てた事もあった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
家庭教育を怠っておいて学校が子供を悪くするように思うのも間違っている。学校ではいく十百人の生徒を同じように教育するものだから一々一人一人の品性を陶冶とうやする力はない。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
吾人の性情を瞬刻に陶冶とうやして醇乎じゅんことして醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
陶冶とうやされないあの駄々だだは、あの我儘が近代人だといえばそうとも言われようが、気高い姿体と、ロマンチックな風致をよろこぶ女にも、近代人の特色を持った女がないとは言われない。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
人生の実際について直ちに品性の陶冶とうやをやるところが教育になるのである。
僧堂教育論 (新字新仮名) / 鈴木大拙(著)
しかし、一夜に人間を改造することはできない。人間を改造するものは、良心の陶冶とうやに依るものです。芸術の使命が、宗教や、教育と、相俟ってこゝに目的を有するのは言うまでもないことです。
作家としての問題 (新字新仮名) / 小川未明(著)
学育もとより軽々けいけい看過すべからずといえども、古今の教育家がみだりを予期して、あるいは人の子を学校に入れてこれを育すれば、自由自在に期するところの人物を陶冶とうやし出だすべしと思うが如きは
徳育如何 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
性格陶冶とうや等から来る美を多分に持っている人の事である。
人の首 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
その人間性の陶冶とうやが打切ってあるからです。
「女らしさ」とは何か (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
それはあるだろう、本当の鍛冶屋は探せば出てくるに相違ないが、それをなまでは使えない、一応陶冶とうや教育を加えてから、傍についていて指導して使わなければならない。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
陶冶とうやだのということの可能性を信じているのであります。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)