貝塚かいづか)” の例文
いまでも、方々から貝塚かいづかがほりだされたり、矢の根石やいろんな石器せっき発見はっけんされたりするのでも、それがわかります。
あたまでっかち (新字新仮名) / 下村千秋(著)
貝塚かいづか發見はつけん物中に猪の牙をほそらしたるが如き形のもの有り。其用は未だ詳ならざれど、明かに貝殼かいがらの一つなり。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
すなわち半蔵門外の貝塚かいづかに鎮座ましましていたのですが、時代は徳川お三代の名君家光公のご時世であり、島原以来の切支きりしたん宗徒しゅうとも、長いこと気にかかっていた豊臣とよとみの残党も
先住民族は貝塚かいづかを残している。彼らの漁場はただ浜べ岸べに限られていたであろうが、船と漁具との発達は漁場を次第に沖のほうに押し広げ同時に漁獲物の種類を豊富にした。
日本人の自然観 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
やがて其秋そのあきには、のこらず貝塚かいづかひらかれて、はたけつてしまつたが、それでも余等よら未練みれいかされて、表面採集ひやうめんさいしふ時々とき/″\立寄たちよるが、其後そののちとても、土偶どぐう磨石斧ませきふ、三十七ねんの九ぐわつには
貝塚かいづか即ち石器せきき時代人民のめより宗教上しうけふじやうの物を發見はつけんすとは如何にも誠しからず聞こゆべしと雖も、一定いつていの時日をたる後、或は一定の祭祀さいしを終りたる後は
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
それを幻花子げんくわしがチラとみゝはさんで、大井村中おほゐむらぢうのこらずさがして、やうや野中氏のなかし寶庫ほうこ突留つきとめるともなく、貝塚かいづかの一ひらいて其所そこ養鷄場ようけいぢやう設立せつりつする大工事だいこうじおこり、此期このき利用りようして土方どかた買收ばいしう
我々は是に膏藥こうやくの類を入るる事有れどコロボツクルは之を以て入れとせしなり。赤色あかいろを入れたるままのはまぐり貝は大森貝塚かいづかより數個發見はつけんされたり。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)