経基つねもと)” の例文
品にさきだつて綱宗に仕へた初子は、其世系せいけいが立派である。六孫王経基つねもとの四子陸奥守満快むつのかみまんくわいの八世の孫飯島三郎広忠ひろたゞ出雲いづもの三沢を領して、其曾孫が三沢六郎為長ためなが名告なのつた。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
元服すれば、名も改めるのがならいでした。——源氏の遠い先祖は、六孫王経基つねもとと聞いております。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
猿橋えんきょう辺から出沢すざわにかけて防戦したが、勝頼落延びたりと見届けると、岡の上に馬を乗り上げ、「六孫王経基つねもとの嫡孫摂津守頼光より四代の孫源三位頼政の後裔馬場美濃守信房」
長篠合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
いずれも皆六孫王経基つねもとの子孫で、多田新発意満仲ただのしんぼちみつなか後胤こういんなのです
武芝たけしば興世王おきよおう経基つねもとの三者のあいだに、和睦ができ、手打ち式にまでなりながら、その日の平和を誓う酒もりから、また大喧嘩をひき起し、もとの泥合戦へ返ってしまう始末である。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天慶てんぎょう年中、平将門たいらのまさかどが、関八州にあばれた頃は、ここに源経基つねもと対峙たいじしていたことがあり、またそれから八十年後の長元年間には、平忠恒ただつねが叛乱に際し、源頼信は征夷大将軍に補せられて
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は、深大寺まで迎え出て来た武蔵権守むさしのごんのかみ興世王おきよおうすけ経基つねもとへ、そういった。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)