節供せっく)” の例文
イヒはこしきでふかすこと今日の赤飯のごとくであったが、そんな方法をもって飯を製することは節供せっくの日ばかりになった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
七夕祭りの内容を小別こわけしてみると、鎮花祭の後すぐに続く卯月うづき八日の花祭り、五月に入っての端午の節供せっくや田植えから、御霊ごりょう・祇園の両祭会・夏神楽までも籠めて
水の女 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
いちばんよく知られているのは神を祭る日、正月とぼん彼岸ひがん、その他節供せっくといって一年のうちに何回か、業を休んで祝う日にもしながわりができた。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
関西ではヨソ行キともうが、おもにお祭や節供せっくの日に着るからこれをマツリゴ(紀州および小豆島しょうどしま)、またはセツゴ(東北処々)などと謂うている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
白いめしくのは神の日かほとけの日、節供せっく・祭礼・いわい事のような、折目立おりめだった日に限るのが普通であった。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
昔は九月九日の節供せっくの日の子ども遊びであったというが、今ではもう常の日にもすることがあるらしい。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
柴餅は五月節供せっくの日に作る餅で、いわゆる亀の子ばらなどの葉に包んだ餡入あんいりの餅であるが、これなどはたしかによく熟した露草の実が、葉苞はづとに包まれた形と似ている。
東京などでも三月にむろ咲きの桃の花を求めて、雛祭りをするのをわびしいと思う者がある。去年のかしわの葉を塩漬にしておかぬと、端午たんご節供せっくというのに柏餅かしわもちは食べられぬ。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
一つは鳥取県のある山村だけでいたことだが、蓆旗むしろばたといって五月の節供せっくのまえの晩、子どもが欲しいのに産まれないという家の前に、若者連中わかものれんじゅうがこっそりとやってきて
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ひな節供せっくにお雛はん見せとくれといって来る子どもは、昔も今も炒豆いりまめや菓子が目あてであった。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
或いは天竜川筋の雛送ひなおくりのように、三月節供せっくの日に川原にむしろを敷き、火をいて飲み食いを中心にした少女の集まりがあるが、もとは東京の近くの馬入川筋ばにゅうがわすじの村にもあった。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
旧暦八朔はっさくのタノムの節供せっくのごときも、今は晩稲のまだ穂を出さぬものが多くなって、単に田をめまたは田の神さんたのみますなどと、わめいて巡るだけの村もあるようだが
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
少なくとも民間の節供せっく思想、すなわち神と人の食饌しょくせんを同じくする習慣とは反するのである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
以前はたいてい皆節供せっくと書いており、節句せっくと書く者はそれからだんだん多くなって来た。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そのかわりには五月の節供せっく菖蒲しょうぶかず、節分に豆をまくなかれと言ったとあって、永く正直にこの二種の物を用いなかったのは少なくとも近代の雑説ではなかった証拠である。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)