かん)” の例文
ときには北朝方へかんつうじたり、ときにはあいまいな中立的偽態にかくれて、生涯、自分の信ずる歩みをつらぬき通したからだった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
興は十二分に湧いて、かんを尽して飲むほどに、酔うほどに、ついつい夜更けに及んでしまって、今こうして立ちかえるところなのだ。
……それにお味方の連中にしてからが、味方頽勢たいせいと目星をつけると、平気で宮方にかんを通ずるいうことにだってなるからのう
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
御承知の如く、市有便所糞尿汲取人請負賃は市歳出経常部第十二かん汚物掃除費の中に含まれて居るのであって、年額六百円、一ヶ月五拾円の予算である。
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
ペルシアとかんを通じたとの嫌疑の下に、かの商鞅と運命を同じくせざるを得なかったのである。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
間もなく張士誠は、江浙左丞相達織帖睦邇のもとかんを通じて、降服したいといってきたので、達丞相は参政周伯埼しゅうはくきなどを平江へやって、これを撫諭ぶゆさし、みことのりを以って士誠を大尉にした。
愛卿伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
かんを新詩社とあららぎ派とに通じて国風新興を夢みた。
なかじきり (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「毛利方であった備前の浮田直家も、ついにかんを織田家に通じ、ために毛利は境を脅威きょういされて、上方かみがたへ援軍に来るどころではない」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「最所治部めがそむいたそうな。毛利元就もとなりかんを通じ俺に鋒先を向けるそうな」
郷介法師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
師泰との打合せだけでなく、在京在国の武家仲間へも極秘にかんつうじて、きょうという日を、充分な用意のもとに待機させていたのである。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土佐の長曾我部は、その間に、全勢力を四国にひろげ、そして紀州和泉の不平分子を通じて、ひそかに、家康、信雄にかんを通じて来たのだった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ために、理性に富む彼は、越前の朝倉とむすび、叡山その他の僧団とかんつうじ、旧態の将軍家をなお恋々と奉じている。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あれいらい、佐々木道誉は、近江にこもって、義詮よしあきらめしにも応ぜず、ひそかにかんを南朝につうじて、事をたくらむとの噂もある。奇ッ怪な二た股者」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は、美濃みの苗木城なえぎじょうの遠山久兵衛を介して、もう二年も前からひそかにかんを安土の信長に通じていたのであった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
別所一族は、東部播磨はりま八郡に分布していて、天正の初め頃から、小寺一族などと共に、かんを信長に通じ、土着の味方として、有力な一翼だったものである。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もしかんを毛利家に通じ、彼に利をもってすれば、あわれ遠征宿年にわたる羽柴秀吉以下の軍は、中国の地を墳墓ふんぼとして、ふたたび都をかえりみることはできまい。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足利方の乱波らっぱの探りでは、三日にわたる膠着戦がもととなって、正成と尊氏とのあいだには微妙な黙契があるらしい、とうたがわれ、両者はかんつうじているものだ
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と見極めて、共に、越前を脱して、将来の計を岐阜城に説き、以来、かんつうじて、今日までその志を、信長に託して、成し遂げて来た——藤孝、光秀のふたりだった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
松寿丸——後の黒田長政——は官兵衛孝高よしたかの嫡子であるが、つとに、官兵衛が将来を察して、かんを信長に通じたときから、その子を、質子ちしとして、信長にさし出してあった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もとよりそれは独力ではなく、織田家とむすぶ一方、彼もまた、甲州の武田信玄とかんを通じて
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いずれにせよ、明石あかし一族は、宇喜多家を離れて、ひそかに秀吉へかんを通じることになった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後人が吉重の作画に武蔵の印をかんしたものだという飛躍した仮説を立てた一文も、誰かが、その文章や写真版の載っている美術雑誌を私へもたらしながら話してくれたこともあるが
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それがしの部下に、戈定かていという者がいます。これが張遼の馬飼うまかいと兄弟なのです。依って、密かにかんを通じ、城中から火の手をあげて、張遼の首を取ってみせんといっております。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「かれも、数正も、みな大坂へかんつうじ、ひそかに、期をはかっていたものとみえまする」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はるかに新興織田勢力の赫々かっかくたるものを眺め、中国の毛利にも飽き足らないものを覚えていたところへ、昨年、黒田官兵衛の説破せっぱに会って、断然、織田へかんを通じたものであった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊丹、茨木、高槻などの諸勢も、はや秀吉にかんを通じおるものと見るほかありません。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長の覇示はじにたいしては、あれほど長年に、また執拗しつように、対抗を続けて来た毛利も、いまは質子ちしを送って、盟下めいかに属し、九州の大友義統よしむねも、こんどは祝書を寄せて、かんつうじて来たし
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その道誉は、つい先ごろには足利方として矢矧やはぎの陣にいたのであるが、手越河原の対陣のさい彼からかんつうじて来たので、渡りに舟と味方に用い、以来、後ろ備えにしておいたものだった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「したが、火だねは絶えず、近ごろまたも、桜山につづいて、備前には児島三郎高徳こじまさぶろうたかのりなる者が起り、瀬戸ノ海を隔てながらも大塔ノ宮、正成らとかんを通じ、虎視眈々こしたんたん、機をうかがっておりますそうな」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
にわかに、毛利家へかんを通じ、信長公へ弓を引く心になられたものか。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宇喜多は多年わが毛利方の一翼だったが、利を見て信長へかんつうじた者である。これも是非なし、敵に武門の節義を売ろうというほどな者には、またその人間だけの小理窟こりくつと打算があるにちがいない。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
楊秋を密使に立て、その晩、ひそかに曹操にかんを通じた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このしおに——とばかり争って彼にかんを通じて来た。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)