そこで武蔵は、食事が終ると、そのお小僧にともなわれて、東塔の根本中堂こんぽんちゅうどうまで行ってみるつもりで、十幾日目で、久しぶりに大地を踏んだ。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
頂上の根本中堂こんぽんちゅうどうまではまだ十八町もあるというので、駕籠かごをどうかと定雄は思ったが、千枝子は歩きたいと云った。
比叡 (新字新仮名) / 横光利一(著)
いよいよ怒った山門の衆徒達は、今は、唯、憎い関白を、祈り殺せとばかり、七社の神輿を、根本中堂こんぽんちゅうどうに振上げて、その前で七日間、大般若経だいはんにゃきょうを読み続けた。
根本中堂こんぽんちゅうどうの上、杉木立の深い、熊笹の繁茂している、細い径——そこは、比叡山の山巡りをする修験者か、時々に、僧侶が通るほか、殆んど人通りの無い、険路であった。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
叡山の根本中堂こんぽんちゅうどうの前にその木があるという。鶴見はまだ見ないが、泡鳴ほうめいがそれについて一度語ったことを覚えている。伝教大師でんぎょうだいしの時代までさかのぼるとすれば、その渡来も随分古いものである。
それを知って、よたとん先生の腰の痛みもケロリとなおり、それから二人は引返して、根本中堂こんぽんちゅうどうの方から、おうぎくぼの方を下りにかかるのは、たしかに坂本方面へ向って引返すものに相違ありません。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そして叡山えいざん根本中堂こんぽんちゅうどうあたりには、かつてこの峰々で焼き殺された無数の僧侶、碩学せきがく稚児ちご雑人ぞうにんたちの阿鼻叫喚あびきょうかんもたしかに聞え、或いはき、或いは笑い、或いは闘い
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
根本中堂こんぽんちゅうどうの上やで——」
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
東山へ移ってからも、彼の不断の行願ぎょうがんは決してやまない。山王神社に七日の参籠をしたのもその頃であるし、山へも時折のぼって、根本中堂こんぽんちゅうどうの大床に坐して夜を徹したこともたびたびある。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
根本中堂こんぽんちゅうどうをはじめ山王七社も東塔とうとう西塔の伽藍がらんも三千の坊舎ぼうしゃも、法衣に武装したものどものすみか以外の何ものでもない。陰謀、策動の巣以外に、現在の世のなかへの何の役割をしているか。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
迦陵頻伽かりょうびんがの声ともきこえる山千禽やまちどりのチチとさえずるあした——根本中堂こんぽんちゅうどうのあたりから手をかざして、かすみの底の京洛みやこをながめると、そこには悠久ゆうきゅうとながれる加茂かもの一水が帯のように光っているだけで
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山門の上では、根本中堂こんぽんちゅうどう大梵鐘だいぼんしょうがいんいんと鳴りわたっていた。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)