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掛川
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かけがわ
ふりがな文庫
“
掛川
(
かけがわ
)” の例文
一体東海道
掛川
(
かけがわ
)
の
宿
(
しゅく
)
から同じ汽車に乗り組んだと覚えている、
腰掛
(
こしかけ
)
の
隅
(
すみ
)
に
頭
(
こうべ
)
を垂れて、
死灰
(
しかい
)
のごとく
控
(
ひか
)
えたから別段目にも留まらなかった。
高野聖
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
こんなことを話し出しているうちに、
金谷
(
かなや
)
から
新坂
(
しんざか
)
へ二里、新坂から
掛川
(
かけがわ
)
へ一里二十九町、掛川から
袋井
(
ふくろい
)
へ二里十六町。
大菩薩峠:07 東海道の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
蹴鞠
(
けまり
)
の遊びの時にはく袴は必ずこの
葛布
(
くずふ
)
の袴で、その供給地として昔から有名だったのは、遠州の
掛川
(
かけがわ
)
地方であった。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
織物の名誉はむしろ
掛川
(
かけがわ
)
の仕事の方に
懸
(
かか
)
っているといわねばなりません。掛川の宿が
葛布
(
くずふ
)
の名で知られてから、もう何年になるのでありましょうか。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
むかしの東海道の
日坂
(
にっさか
)
の
宿
(
しゅく
)
は、今日では鉄道の
停車場
(
ていしゃじょう
)
になつてゐない。今日の
下
(
くだ
)
り列車は
金谷
(
かなや
)
、
堀
(
ほり
)
の
内
(
うち
)
、
掛川
(
かけがわ
)
の各停車場を過ぎて、浜松へ向つてゆく。
小夜の中山夜啼石
(新字旧仮名)
/
岡本綺堂
(著)
▼ もっと見る
掛川
(
かけがわ
)
と云えば
佐夜
(
さよ
)
の
中山
(
なかやま
)
はと見廻せど僅かに九歳の冬
此処
(
ここ
)
を過ぎしなればあたりの景色さらに見覚えなく、島田
藤枝
(
ふじえだ
)
など云う名のみ耳に残れるくらいなれば
覚束
(
おぼつか
)
なし。
東上記
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
遠州
灘
(
なだ
)
の荒海——それはどうやらこうやら乗切ったが、
掛川
(
かけがわ
)
近くになると疲労しつくした川上は
舷
(
ふなばた
)
で
脇腹
(
わきばら
)
をうって、海の中へ
転
(
ころ
)
げおちてしまった。船は
覆
(
くつがえ
)
ってしまった。
マダム貞奴
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
そのおなじ日の落ちゆく
陽脚
(
ひあし
)
をいそいで、まだ
逆川
(
さかさがわ
)
に
夕照
(
ゆうで
)
りのあかあかと
反映
(
はんえい
)
していたころ、
小夜
(
さよ
)
の
中山
(
なかやま
)
、
日坂
(
にっさか
)
の
急
(
きゅう
)
をさか落としに、
松並木
(
まつなみき
)
のつづく
掛川
(
かけがわ
)
から
袋井
(
ふくろい
)
の
宿
(
しゅく
)
へと
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
卯月
(
うづき
)
のすえ、ようようきょうの旅泊りは
駿河
(
するが
)
の国、島田の宿と、いそぎ
掛川
(
かけがわ
)
を立ち、
小夜
(
さよ
)
の中山にさしかかった頃から豪雨となって途中の菊川も
氾濫
(
はんらん
)
し濁流は橋をゆるがし道を越え
新釈諸国噺
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
私が
怪
(
あやし
)
んで聞くと、このさきの砂川(遠州)が止まったといった、それで日はまだ高いのに
掛川
(
かけがわ
)
に泊った。しかし幸にして翌日川が開けた。砂川は小さな川であるが忽ち増水する川であった。
鳴雪自叙伝
(新字新仮名)
/
内藤鳴雪
(著)
星をたよる
闇夜
(
やみよ
)
と同じことで、お君はそこを一生懸命で、順路はここから北へ
国安川
(
くにやすがわ
)
というのに沿うて行き、
掛川
(
かけがわ
)
の宿へ出て、東海道本道に合するということを聞いていましたから
大菩薩峠:07 東海道の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
掛
常用漢字
中学
部首:⼿
11画
川
常用漢字
小1
部首:⼮
3画
“掛川”で始まる語句
掛川宿
掛川之宿