御願ぎょがん)” の例文
すべて彼にかぎらず、笠置挙兵のまえに発せられていた天皇のげきが行った先は、御願ぎょがんの社寺や、御領の武士があらましだった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すぐる三日間にわたる天皇の南都行幸は、聖武しょうむみかど御願ぎょがんいらいな車駕の盛事といわれ、奈良のかすみも、ほこりに黄ばんだ程だった。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なぜ捨てた。そのような弱い意志では、長谷への御願ぎょがんもあだ事でしかなかろう。子のだいへかけてまでの願望となら、親自体、子の根になって未来を
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三十三間堂の建立こんりゅうは、鳥羽上皇の御願ぎょがんによるもの。一千一体の仏像をすえおかれ、供養をかねた落成式は、天承元年三月十三日の都じゅうをわきたたせた盛事であった。
「目出度き御思おんおぼしを立たせられ、事成就じょうじゅ必定ひつじょうにござりまする。室町家累代むろまちけるいだい御信心浅からぬ当八幡宮におかれても、御願ぎょがんをおききいれあらんこと、疑いもありませぬ」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして本尊に、御自身の念持仏ねんじぶつ——胸にまんじの彫ってある阿弥陀如来あみだにょらい像をおさめて——今生の衆生しゅじょう結縁けちえんと、来世の仏果ぶっかのために施与せんというのが、安楽寿院創建の御願ぎょがんとされるところらしい。
関東調伏ちょうぶく御願ぎょがん
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)