天津てんしん)” の例文
天津てんしん方若はうじやく氏のコレクシヨンの中に、珍しい金冬心きんとうしんが一幅あつた。これは二尺に一尺程の紙へ、いろいろの化け物をいたものである。
支那の画 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
彼方かなたの床の間の鴨居かもいには天津てんしん肋骨ろっこつが万年傘に代へてところの紳董しんとうどもより贈られたりといふ樺色かばいろの旗二流おくり来しを掛けたらしたる
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
あひにくその人は天津てんしんへ出張中で、あと四五日しないと帰つて来ないといふことだつた。大連は二度目だつたが、どうも好きになれない町だ。
夜の鳥 (新字旧仮名) / 神西清(著)
つたく、近頃ちかごろ天津てんしん色男いろをとこ何生なにがしふもの、二日ふつかばかりやしきけた新情人しんいろもとから、午後二時半頃こごにじはんごろばうとしてかへつてた。
みつ柏 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
その女が送つて来てゐる待合のおかみらしい年増とさびしさうにして何かこそこそ話してゐるのが眼に着いたが、(天津てんしんにでも鞍替するのかな)と思つたが
(新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
河南の潼関とうかんまでは山地であるから洪水にはならないが、ここから先の海まで五六百キロの平地は、北は天津てんしんから、南は南京の対岸まで、黄河が流れた跡なのである。
北支の工藝で、世界に名を成したのは、絨毯じゅうたんであります。特に天津てんしんと北京とは有名で、今日も仕事はさかんであります。年々海外に輸出する額は、決して少くありません。
北支の民芸(放送講演) (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
そうかといって上海シャンハイ天津てんしんの租界へ置けば家賃が高い。じゃ外国へ置くとしたらいい笑い話だ。
幸福な家庭 (新字新仮名) / 魯迅(著)
お千代はまず『都』の方をひろげて松岡と芳沢旅館との記事を捜したが出ていないので、『報知』を見たがこれには錦州きんしゅう天津てんしんの戦報ばかりで、女の読むようなものはない。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すなわよう遼東りょうとうを征するを令して、徐凱をして備えざらしめ、天津てんしんより直沽ちょくこに至り、にわかに沿いて南下するを令す。軍士なお知らず、の東を征せんとして而して南するを疑う。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
天津てんしんは値段も味も水蜜よりは落ちる物とされてゐたが、ふしぎに夏のおやつにはこの方がずつと充実してゐた。戦後になつてからは天津てんしんはどこにも見えなくなつたが、惜しいやうに思ふ。
豚肉 桃 りんご (新字旧仮名) / 片山広子(著)
叔父様ったら明日にでも天津てんしんへお発ちになるかもしれないというのに今日お出しになるなんてひどいわ。咲やにたのんだら何だ彼だとぐずぐずいうし。じゃ、たのみますよ。間違いなくね。
女の一生 (新字新仮名) / 森本薫(著)
今日の水蜜桃でも、天津てんしん桃でもない、混りツ気のない、日本の青桃あをももである。
吉原百人斬り (新字旧仮名) / 正岡容(著)
僕は大阪毎日新聞社の命を受け、大正十年三月下旬から同年七月上旬に至る一百二十余日のかん上海シャンハイ南京ナンキン九江キュウキャン漢口ハンカオ長沙ちょうさ洛陽らくよう北京ペキン大同だいどう天津てんしん等を遍歴した。
「支那游記」自序 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)