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大喜庵
読み方 | 割合 |
たいきあん | 50.0% |
だいきあん | 50.0% |
九年春、白龍庵
有司の
毀つところとなる。夏建文帝
浪穹鶴慶山に至り、
大喜庵を建つ。十年
楊応能卒し、
葉希賢次いで卒す。帝
因って
一弟子を
納れて
応慧と名づけたもう。
十四年、帝
程済に命じて
従亡伝を録せしめ、みずから
叙を
為らる。十五年
史彬白龍庵に至る、
庵を見ず、
驚訝して帝を
索め、
終に
大喜庵に
遇い奉る。十一月帝
衡山に至りたもう、避くるある也。