堤下どてした)” の例文
そのうちにこの俄雨で、堤下どてしたの親類まで傘を借りに行つてまゐりました。お孃樣は梅若の茶店で、雨宿りをしておいでなされます。
箕輪の心中 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
僕は、声を限りに呼ばはつたが、ミツキイは堤下どてしたのもろこし畑に逃げ込んだモモンガアを追ひまくつて、しきりに短銃の音を響かせてゐた。
作右衞門という老人としよりが名主役を勤めており、多助は北阪きたさかの村はずれの堤下どてした独身活計ひとりぐらしをしているというから遣って参り
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
これらの徒は地方によって、或いは山の者・谷の者・野の者・島の者・堤下どてしたなどとも呼ばれているが、いずれも皆同一理由から得た名と解せられる。
向島の言問ことといの手前を堤下どてしたりて、うし御前ごぜんの鳥居前を小半丁こはんちょうも行くと左手に少し引込んで黄蘗おうばくの禅寺がある。
それを手にして堤下どてしたを少しうろついていたが、何かっていると思うと、たちまちにして春の日に光る白い小さい球根を五つ六つふところから出した半紙の上にせてもどって来た。
野道 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
家も無いものだから今の堤下どてした乞食こじきの住むやうな小屋を造つて、其処に気の合つた悪党ばかり寄せ集め、米が無くなると、何処の家にでもお構ひなしに、一升米を貸して呉れ、二升米を貸して呉れと
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
堤下どてしたの田圃では昼でも蛙がそうぞうしくきこえた。その堤下の小料理屋から二人づれの男が出て来た。
地方に於いて今も山家さんかの徒が、河原や、堤下どてしたや、藪蔭・墓場などに、小屋掛け・テント張りをして住んでいる様子を見ますと、昔の有様も想像せられるのであります。
わが罪を隠そうが為に、土手の甚藏をあざむいて根本の聖天山の谷へ突落つきおとし、上から大石たいせきを突転がしましたから、もう甚藏の助かる気遣きづかいは無いと安心して、二人差向いで、堤下どてした新家しんやで一口飲んで
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
お紺はよんどころなく商売をやめて、そこらを流れ渡っているうちに、吉原の或る女郎屋の妓夫ぎゆうと一緒になって、よし原の堤下どてした孔雀長屋くじゃくながやに世帯を持つことになった。
半七捕物帳:23 鬼娘 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
三囲みめぐり堤下どてしたを歩いていると、一軒の農家の前に十七、八の若い娘が白い手拭てぬぐいをかぶって、今書いたばかりの「久松るす」という女文字の紙札を軒に貼っているのを見た。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
三囲みめぐり堤下どてしたを歩いていると、一軒の農家の前に十七、八の若い娘が白い手拭をかぶって、今書いたばかりの「久松るす」という女文字の紙札を軒に貼っているのを見た。
二階から (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
姉のお北の死骸が江戸川に浮かびあがった時、弟の瓜生長三郎は向島の堤下どてしたをあるいていた。
半七捕物帳:69 白蝶怪 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その小僧のお尻の両方に銀のような二つの眼玉がぴかりと……。わたくしはぎょっとして立ちすくみますと、お武家はすぐにその小僧の襟首を引っ掴んで堤下どてしたへほうり出してしまいました。
半七捕物帳:19 お照の父 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
豊吉のいった通り、浅草寺の入相の鐘が秋の雲に高くひびいて、紫という筑波山つくばの姿も、暮れかかった川上の遠い空に、薄黒く沈んでみえた。堤下どてしたの田圃には秋の蛙が枯れがれに鳴いていた。
両国の秋 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
堤下どてした浄閑寺じょうかんじくれの勤めのかねが途切れとぎれに聞えた。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)