和泉橋いずみばし)” の例文
ぴたりとそこの和泉橋いずみばしの上に立ち止まると、くぎづけになったようにたたずんだまま、しんしんとまた考えこみました。
近いところ筋違橋すじかいはし外と和泉橋いずみばし御救小屋おすくいごやへ流れ込む人の数を見ねえ、一杯ずつ粥を施すんだって容易のことじゃねえ
黄金を浴びる女 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
和泉橋いずみばし時代に金を貸して遣った学生に猪飼いかいと云うのがいた。身なりに少しも構わないと云う風をして、素足に足駄を穿いて、左の肩を二三寸高くして歩いていた。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかもいうところの片側かたがわ町であった。反対の側は神田川で、今、銀鱗ぎんりんを立てながら、大川のほうへ流れている。下流に橋が見えていたがそれはどうやら和泉橋いずみばしらしい。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
左は土手、右は籾倉もみぐらの淋しいところを通って行くと、和泉橋いずみばしの土手には一個所の辻番があります。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
神田柳原、和泉橋いずみばしたもと、柳森稲荷に新店が出来たから、ひとつ景気をつけに行こうではごわせんか。祝儀だけよぶんに飲めましょう。まずくいっても手拭いぐらいはくれます。
一体この堤の草は近所の大名屋敷や旗本屋敷で飼馬かいばの料に刈り取ることになっていまして、筋違から和泉橋いずみばしのあたりは市橋壱岐守いきのかみと富田帯刀たてわきの屋敷の者が刈りに来ていたんですが
半七捕物帳:43 柳原堤の女 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
彼は先に立って、スタスタと和泉橋いずみばしの方を向いて、暗い柳原河岸を、歩き出した。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
と云いながら出ましたが、ほかに尋ねるあてもなく、途方に暮れてぶら/\と和泉橋いずみばしもとまでまいりますと、向うから来たのは廻りの髪結い文吉で、前橋にいた時分から馴染なじみでございますから。
出ると間もなく、己は和泉橋いずみばしから自働電話をかけて、店の番頭を呼び出した。
小僧の夢 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
お玉ヶ池は今日神田松枝町まつえだちょうの辺である。和泉橋いずみばしの南方電車通の西側である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
江戸にまいってから下谷したや練塀小路ねりべいこうじ大槻俊斎おおつきしゅんさい先生の塾に朋友があって、私はその時鉄砲洲てっぽうずに居たが、その朋友の処へ話にいって、夜になって練塀小路を出掛けて、和泉橋いずみばしの処に来ると雨が降出ふりだした。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
その場所は和泉橋いずみばしを入ったところの仲徒士町なかおかちまちとだけ言っておこう。今も住んでいるのが、つまり明々白地あからさまに言うのをはばか所以ゆえんでもあるのだが、その年代の調査は前同様矢張やはり新しい部に属する。
白い光と上野の鐘 (新字新仮名) / 沼田一雅(著)
ここにまた師匠の華客先とくいさきで神田和泉橋いずみばし辻屋つじやという糸屋がありました。
やがて亥刻よつ半(十一時)平次は和泉橋いずみばしの方へ静かに歩み寄りました。ガラッ八が隠れているところからは、十歩、二十歩、心もとなく次第に遠ざかります。
さびしいその柳原堤に沿って下ると、和泉橋いずみばしです。ひつをかかえた影を先に、二、三尺離れて女中の影がこれを守りながら、ふたりの女は、その和泉橋からくるりと左へ折れました。
神田と浅草の方面をあてもなく歩き廻っていたが、あてのないことはどこまで行っても当がないから、一ぜん飯を食べて腹をこしらえて、再び柳原通りの和泉橋いずみばしたもとへ戻って来ました。
当時の江戸分間大絵図えどぶんけんおおえずというものをけみするに、和泉橋いずみばし新橋あたらしばしとの間の柳原通やなぎはらどおりの少し南に寄って、西から東へ、おたまいけ松枝町まつえだちょう、弁慶橋、元柳原町もとやなぎはらちょう佐久間町さくまちょう四間町しけんちょう大和町やまとちょう豊島町としまちょうという順序に
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)