公宗きんむね)” の例文
「いえ。持明院統の臣で、去年こぞの騒動、西園寺公宗きんむね(北山殿)の一件にからみ、以来、剃髪して寺にかくれている公卿がありますそうな」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いや北山殿の公宗きんむね自身が、建武新政の世の下では、まったく失意の人でもある。で、ここの斜陽の門と亡命者との結びつきは、必然なように
代々の西園寺家はここに栄え、いまの大納言公宗きんむねの父の代には、後醍醐もまだ皇太子であったが、その頃からしげしげ遊びにみえられた所である。
……が、その御兄弟、資名すけな、資明の二卿は、持明院統につかえられ、例の、西園寺公宗きんむねの北山事件に連座して、いまはいずこかに蟄居ちっきょの身とか聞いておる
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
みかどは寝殿しんでんはしにおしとねをおかれ、はしの東に、二条ノ道平、堀河ノ大納言、春宮とうぐうノ大夫公宗きんむね、侍従ノ中納言公明きんめい御子左みこひだりノ為定などたくさんな衣冠が居ながれていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おなじ西園寺公宗きんむねに、幕府側の両探題がつき添って、後醍醐へ、出家を迫りに来たときである。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
盟主はもちろん西園寺ノ公宗きんむね卿で、きょうの手から持明院殿(花園上皇)の院宣いんぜんを申しうけ、おなじ逼塞ひっそくなかまの公卿どもをもかたらって、事はもう寸前の機までに熟している。
が、その中にいた西園寺中納言公重きんしげ公宗きんむねを知ると、帝は後ろの妃たちへ
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幕府が新たに立てた持明院統の光厳こうごん天皇が御位につき給うまえに、後伏見ごふしみ、花園の二上皇の旨をうけた西園寺ノ大納言公宗きんむねがこれへのぞんで、後醍醐が笠置いらいかたく御所持の“三種ノ神器”を
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)