彼の父は保本良庵りょうあんといって、麹町こうじまち五丁目で町医者をしているが、その父の知人である幕府の表御番医、法印天野源伯ほういんあまのげんぱくが登の才を早くから認めてい、登のために長崎遊学の便宜もはからってくれたし