末賢は大和に住し東漢に属した帰化漢人であり、奴加己利も亦、そして加西溢は帰化高勾麗人であった。それゆえ我国最初のこの繍帳には支那高勾麗両系の絵があらわされているわけである。
“東漢(後漢)”の解説
後漢(ごかん、zh: 後漢、Hòuhàn、25年 - 220年)は、中国の古代王朝。漢王朝の皇族劉秀(光武帝)が、王莽に滅ぼされた漢を再興して立てた。都は洛陽(当時は雒陽と称した。ただし後漢最末期には長安・許へと遷都)。五代の後漢(こうかん)と区別するため、中国では東漢(zh: 東漢、Dōnghàn)と言う(この場合、長安に都した前漢を西漢という)。
(出典:Wikipedia)
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