“後崇光院(伏見宮貞成親王)”の解説
伏見宮貞成親王(ふしみのみや さだふさしんのう、1372年4月9日〈応安5年3月5日〉 - 1456年9月28日〈康正2年8月29日〉)は、日本の室町時代の皇族。世襲親王家の伏見宮第3代当主。出家後の法名は道欽入道親王(どうきん にゅうどうしんのう)。太上法皇としての院号は北朝第3代崇光天皇の孫にあたることから、後崇光院(ごすこういん)または後崇光天皇(ごすこうてんのう)。
「現在の皇室」(うち今上天皇・明仁上皇及び生まれながらの皇族)と、1947年(昭和22年)に臣籍降下(いわゆる皇籍離脱)した「旧皇族11宮家及びその男系子孫」の、男系での最近共通祖先である(なお、女系を含めた場合での最近共通祖先は江戸時代の霊元天皇)。
著作に『看聞日記』『椿葉記』がある。
(出典:Wikipedia)
「現在の皇室」(うち今上天皇・明仁上皇及び生まれながらの皇族)と、1947年(昭和22年)に臣籍降下(いわゆる皇籍離脱)した「旧皇族11宮家及びその男系子孫」の、男系での最近共通祖先である(なお、女系を含めた場合での最近共通祖先は江戸時代の霊元天皇)。
著作に『看聞日記』『椿葉記』がある。
(出典:Wikipedia)