鰍沢かじかざわ)” の例文
旧字:鰍澤
富士ふじ川の名物、筏舟いかだぶねさおさして、鰍沢かじかざわからくだる筏乗いかだのりのふうをよそおい、矢のように東海へさして逃げたふたりのあやしい男がある。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは何とも言えません……なにしろこの川は、鰍沢かじかざわから岩淵まで十八里の間、下る時は半日で下りますが、これを上へ引き戻すには四日からかかりますからな。
大菩薩峠:08 白根山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
驚いたのは他の貸元連で、小金井の半助、江尻の和助、鰍沢かじかざわの藤兵衛、三保ノ松の源蔵、その他の貸元ほとんど一同、一つ旅籠へ集まって、仲裁なかなおりの策を相談した。
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
このお初は鰍沢かじかざわの吉五郎という博奕打ちの妾でした。吉五郎はここら切っての大親分で、子分の二百人も持っているという男で、それはそれは大した威勢だったそうです。
子供役者の死 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
面白おもしろき柳の巨木の、水に臨んで、幾株か並んでいる広い河原、そこにけたる手摺てすりなき長い橋を渡ると鰍沢かじかざわの町だ。私は右側の粉奈屋という旅店に投じた。丁度三時半。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
鰍沢かじかざわにおいて私は一行と別れ、ただ一人夕ぐれの流れに沿うて道を下りました。その夜は飯富に宿ったのです。六月十一日、運命はついに私の足を上人の故郷丸畑へ入らせました。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
私はついでに白峰山脈の南の端にある青薙あおなぎ山に登って、東河内の谷から田代へ下ろうと慾張った為に、鰍沢かじかざわから舟で富士川を下り、飯富に上陸して早川の支流雨畑あめはた川に沿い、雨畑村に行き
大井川奥山の話 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
「その庄吉は、一昨日おとといからこの先の鰍沢かじかざわさいって、まだ戻んねえでやすが……」
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
前年雨のために失敗した白峰しらね山登りを、再びするために、今年(四十一年)は七月下旬高頭式たかとうしょく、田村政七両氏と共に鰍沢かじかざわへ入った、宿屋は粉屋であった、夕飯の終るころ、向い合った室から
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
鰍沢かじかざわまではいくらもない道程みちのり、兵馬はお君のために道をげて鰍沢まで来て宿を取りました。
けれども実は昨日朝香宮殿下のお伴をして鰍沢かじかざわを出発し、南アルプスの登山口の一であるこの西山温泉へ着いたばかりなのだ。環境の大なる変化が時のへだたりをも大きく見せるのである。
鰍沢かじかざわで、万一の用心にと、買って置いた饅頭笠を冠り、ひもの結び方で苦心をしているうちに、意地の悪い雨は、ひとまず切り上げてしまって、下界を覗く空のひとみがいまいましいまでに冷たい。
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
鰍沢かじかざわの町で、また馬を求め、それからは一鞭ひとむちで、甲府へはいった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山峡やまかいのあいだに見える屋根は鰍沢かじかざわの町だった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)