西洞院にしのとういん)” の例文
やがて——そう間もないうちに——五条口から西洞院にしのとういんの大路を、キリ、キリ、とかすかなわだちの音が濡れた大地を静かにきしんでくる。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その若殿様はほとんど夜毎に西洞院にしのとういんの御屋形へ御通いになりましたが、時には私のような年よりも御供に御召しになった事がございました。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
この年十二月十日に、法皇は五条内裏をお出ましになられて、大膳大夫成忠なりただの宿所、六条西洞院にしのとういんへ移られた。
西洞院にしのとういんエタトコロデ、僕ハ彼女ニモウ尾行シテイナイヿヲ知ラセルタメニ電車通リヲ北側ヘ渡ッテ、ワザト彼女ニ見エルヨウニ彼女ヲ追イ越シテ進ンダ。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
京の西洞院にしのとういん侘住居わびずまいをしていた両親の手から今川家へ児小姓こごしょうに召し上げられたので、それ以来は、ただ主君や周囲からせられることを受動的に甘受していただけで
三浦右衛門の最後 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
仲間のおくめに逢おうという、そういう約束があったがために、車屋町の隠れ家を出て、烏丸、むろ町、新町、釜座かまんざ西洞院にしのとういんの町々を通って、千本お屋敷とご用地との間の
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
いわ鍛冶屋かじやの長佐といひて西洞院にしのとういんにありし。物いはふこと人に過ぎたり。年の暮に孫の七八つなるを近づけ、元日にわが顔を見、日本のかなとこは皆ぢいのかなとこぞといへとねんごろに教へし。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
西洞院にしのとういんの寺男が、少しばかりの心付けと、十手を見せられて
今、玉日姫は、世間のうわさがうるさいために、西洞院にしのとういんの別荘のほうへひそかに身をかくしているといううわさである。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あの方が阿父様おとうさまの代から、ずっと御住みになっていらっしゃる、二条西洞院にしのとういん御屋形おやかたのまわりには、そう云う色好みの方々が、あるいは車を御寄せになったり
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
退出するとき、両人とも宿所がない旨奏上すると、すぐさま宿所が与えられた。義仲は大膳大夫成忠だいぜんのたいふなりただの宿所の六条の西洞院にしのとういん、行家は法住寺殿の南殿みなみどのと呼ばれた賀陽かやの御所であった。
京の朱雀すじゃく西洞院にしのとういんのあたりの官衙かんがや富豪のやしきですら、われらの眼には、ただもののあわれを誘う人間の心やすめの砂上の楼閣としかうつらぬものを。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とうとう西洞院にしのとういんの御屋形まで参ったそうでございますが、時にあの摩利信乃法師の不思議な振舞が気になって、若殿様の御文の事さえ、はては忘れそうになったくらい
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
西洞院にしのとういん四条の辻からぞろぞろ出て来た侍たちである。その横には、白壁でいた長い塀と宏壮な腕木門うでぎもんがあった。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
歩みののろい、そして長い行列がいま、西洞院にしのとういんあや小路こうじの職屋敷の門からえんえんと出て行った。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この西洞院にしのとういん西ノ辻に、四条道場がはじまって以来の汚辱を兵法名誉の家門に塗ったものとして、今日をきもに銘記しなければならない——と、心ある門人たちは、沈痛きわまるおもてをして
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今度の合戦では、信西入道こそと、憎しみのまとにされ、西洞院にしのとういんのやしきも真っ先に火をけられて、逃ぐるを追われ、源光泰みなもとのみつやすのために、田原の野辺で非業ひごうな最期をとげてしまいました。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
狡智こうちをしぼって、彼の案出したのが、西洞院にしのとういんの西の空地へ、吉岡流兵法の振武閣しんぶかくというものを建築するという案で——社会の実態をかんがみるに、いよいよ武術はさかんになり、諸侯は武術家を要望している。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)