箇様かよう)” の例文
旧字:箇樣
この附様は前句の「流れの末の水は二筋」といふを山中の谷川の景色と見て、さて箇様かように獣猟の様をばいひて郊外の景色を転じたるなり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
二つ有るものの善きを捨て、あしきを取り候て、好んで箇様かようの悲き身の上に相成候は、よくよく私に定り候運と、思出おもひいだし候てはあきらめ居り申候。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
箇様かようなる想像を風流と思ひ居れども、こはえせ風流にして却て俗気を生ずるのみ。庭を歩行あるいて虫が鳴きやみたりとてそれが不風流になる訳もあるまじ。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
若し下女すぐれ多言くちがましくて悪敷者あしきものなれば早く追出すべし。箇様かようの者は必ず親類の中をも言妨いいさまたげて家を乱す基と成物なるもの也。恐るべし。又卑者いやしきものを使ふには気に合ざる事多し。
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
箇様かようの御事老兄等風流才子の面前に開口候御事には之無く候へども、国家の御事と思はず一筆之に及び候。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これも人の親の心になって御考おかんがえなされて見たら無理では無いと利発のあなたにはよく御了解おわかりで御座りましょう、箇様かよう申せばあなたとお辰様の情交あいなかく様にも聞えましょうが
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
古今集こきんしゅう』の長歌などははしにも棒にもかからず候へども、箇様かような長歌は古今集時代にも後世にも余り流行はやらざりしこそもつけのさいわいと存ぜられ候なれ。
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
ことに痴情の果に箇様かよう不始末ぶしまつ為出しだしました、なにともはや申しやうも無い爛死蛇やくざものに、段々と御深切のお心遣こころづかひ、却つて恥入りまして、実に面目次第も御座いません。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
さて中津から箇様かよう申して参りました、母がにわかに病気になりました、平生へいぜい至極しごく丈夫なほうでしたが、実に分らぬものです、今頃は如何どう云う容体ようだいでしょうか、遠国えんごくに居て気になりますなんて
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
就而者ついては御草稿を御遣し下され候はゞ骨折ほねおり拝見仕可く候。此頃高野俊蔵よりも、近業の詩文ついを成し候得共そうらえども一向相談する人も無之これなく何卒なにとぞ旧稿と思召し御遠慮なく御刪正ごさんせい下され度く候。箇様かよう申し来り候。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
故に箇様かようなる場合においては初めの十句ほどを読みその中に佳句なくば全体に佳句なき者として没書致すべく候。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
なほも身を失ふに尋常の終を得ずして、極悪の重罪の者といへどもいまかつ如此かくのごとき虐刑のはづかしめを受けず、犬畜生の末までも箇様かようごうさらさざるに、天か、めいか、あるは応報か
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ちなみにいふ、この趣向は小説の上にはありふれたりといへども、蕪村時代にはまだ箇様かような小説はなかりしものなり。蕪村はたしかに小説的思想を有したり。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
「空に知られぬ雪」とは駄洒落にて候。「人はいさ心もしらず」とは浅はかなる言ひざまと存候。ただし貫之は始めて箇様かような事を申候者にて古人の糟粕にては無之候。
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
俳句には調がなくて和歌には調がある、故に和歌は俳句にまされりとある人は申し候。これはあながち一人の論ではなく、歌よみ仲間には箇様かような説を抱く者多き事と存候。
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
「雨とふらせて」の句この歌の骨子にしてしかもこの歌の瑕瑾かきんと存候。箇様かような場合には「ふらせる」などいふやうな「せしむる」的の語を用うれば勢を損じて不面白おもしろからず候。
人々に答ふ (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
その地の人は見馴れて面白くもなからうがまだ見ぬ者にはそれがどれほど面白いか知れぬ。殊に箇様かような事は年々すたれて行くから今写して置いた文は後にはその地の人にも珍しくなるであらう。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
箇様かような風に形式的看護と言ふてもやはり病人の心持を推し量つての上で、これを慰めるやうな手段を取らねばならぬのであるから、看護人は先づ第一に病人の性質とその癖とを知る事が必要である。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)