瑣事さじ)” の例文
おもなる事を少し擧げて、詩の映象躍如やくじよたる理想主義の利と、瑣事さじを數ふること多くして聽者をましむる實際主義の弊とも亦然なり。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
これ嘉永五年十一月十五日のことである。市井のこの一瑣事さじに枕山は詩興を催したものと見えて、「万年青」と題する七言古詩を賦した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
死にひんしたおぼえのある人は誰も語ることだが、まさに死せんとする時は幼き折の瑣事さじが鮮やかに心頭によみがえるものだという。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そういういわば人事的な瑣事さじは科学の研究の前には問題とするに足らないというのは、科学がまだ十分に身についていない人の言うことである。
千里眼その他 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
生の愉しさ? それは単に病気そのもののけだるさ、そのために生じるすべての瑣事さじに対する無関心のさせる業だろうか。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
かれの幼時からの性癖せいへきである激情げきじょうをおさえ、向こう見ずの行動に出る危険をまぬがれることができたし、また、かれが日常の瑣事さじに注意を払い
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
それにせよ、表面にあらはれた瑣事さじに徴しても、尊重されてゐるのは彼自身ではなく、その偶然に生を享けた「家系」の形骸であるのを察するには足りた。
垂水 (新字旧仮名) / 神西清(著)
いや、奉行の職義から申せば市井しせい瑣事さじすなわち天下の大事である。そこで大作、この婦人の失踪に関連して何ごとかそのほうに思いあたるふしはないかな?
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
尋常世態の瑣事さじいづくんぞよく高踏派の詩人を動さむ。されどこれを倫理の方面より観むか、人生に対するこの派の態度、これより学ばむとする教訓はこの一言に現はる。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
没頭——それが生命の全部であり、遺産や情愛や肉身などという瑣事さじは、あの方の広大無辺な、知的意識の世界にとれば、わずかな塵にしかすぎないのでございます。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
「八百屋が帳のつけはじめ」は瑣事さじ中の瑣事である。こういう事柄を捉えながら、さのみ俗に堕せず、のんびりした趣を失わぬのは、元禄の句の及びがたい所以ゆえんである。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
あれはね、いいかい、這般しゃはん瑣事さじはだ、雪折笹にむら雀という処を仕方でやったばかりなんだ。——わりの二の段、方程式のほんの初歩さ。人の見ている前の所作なんぞ。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
併し此瑣事さじが僕の心の安寧と均衡とを奪ふのである。いやしくも威厳を保つて行かうとする人間の棄て難い安寧と均衡とが奪はれるのである。頃日このごろ僕は一人の卑しい男に邂逅かいこうした。
人生を幸福にする為には、日常の瑣事さじを愛さなければならぬ。雲の光り、竹のそよぎ、群雀むらすずめの声、行人の顔、——あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味かんろみを感じなければならぬ。
侏儒の言葉 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
瑣事さじですが、これも幾分か兄さんの特色になりますからついでにつけ加えておきます。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この集の内容は例によって主として身辺瑣事さじの記録や追憶やそれに関する瑣末さまつの感想である。こういうものを書く場合に何かひと言ぐらい言い訳のようなことをかく人も多いようである。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
変化へんげの術が人間にできずして狐狸こりにできるのは、つまり、人間には関心すべき種々の事柄があまりに多いがゆえに精神統一が至難であるに反し、野獣は心を労すべき多くの瑣事さじたず
日常の瑣事さじにいのちあれ
智恵子抄 (新字旧仮名) / 高村光太郎(著)
いわば奉行にとっては瑣事さじとはいえ、かれはお艶を伊兵衛に渡したのちも決しておろそかにはしなかった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
人生を幸福にする為には、日常の瑣事さじを愛さなければならぬ。雲の光り、竹のそよぎ、群雀むらすずめの声、行人の顔、——あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。
侏儒の言葉 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
しかもはたのものから見ると、ほとんど取るに足りない瑣事さじに、この感情がきっと首を持ち上げたがるのでしたから。これは余事よじですが、こういう嫉妬しっとは愛の半面じゃないでしょうか。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その強記きょうきはいかなる市井しせい瑣事さじにも通じ、その方寸には、浮世の大海に刻々寄せては返す男浪おなみ女浪めなみひだの一つ一つをすら常にたたみこんでいる大岡忠相であった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
人生を幸福にする為には、日常の瑣事さじに苦しまなければならぬ。雲の光り、竹のそよぎ、群雀むらすずめの声、行人の顔、——あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。
侏儒の言葉 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
こんな瑣事さじで日を暮しているうちに兄と嫂の間柄は自然自分達の胸を離れるようになった。自分はかねて約束した通り、兄の前へ出て嫂の事を説明する必要がなくなったような気がした。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)