杏坪きやうへい)” の例文
「劉梅泉は彭城彦二郎、游竜彦二郎とも称し候。頼杏坪きやうへいとも会面したる旨、寛斎宛同人書翰に見え居候。彭城東閣の裔かと愚考仕候。」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
頼氏では此春杏坪きやうへい邑宰いふさいを辞して三次みよしを去つた。年は七十五である。「何同老萼黏枝死。好趁乳鳩呼子帰。」杏坪の子は采真舜燾さいしんしゆんたうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
茶山は頼杏坪きやうへいが江戸に往来しなくなつたり、倉成竜渚りゆうしよが死んだり、尾藤二洲が引退したりしたと云ふやうな江戸の時事が知れぬのに困ると云つてゐる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)