明暦めいれき)” の例文
明暦めいれき初年三月半ばで、もう八つ(午後二時)過ぎの春の日は茶店の浅いひさしを滑って、桜の影を彼等の足もとに黒く落していた。
番町皿屋敷 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
明暦めいれき大火後の吉原が、日本橋から此処へ引越したばかりで、まだ徳川末期の『大吉原時代』の栄華はなく、何となく粗野な淋しい道でもありました。
これは明暦めいれき三年の大火事に焼けて、今までそこに住んでいた人たちを、西の郊外にうつして村を立て開墾させた。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
もしこれが明暦めいれきの大火事や天明てんめい飢饉ききんのような凶年ばっかり続いた日にゃ、いくら贅沢ぜいたくがいたしたくてもまさかに盆栽や歌俳諧はいかいで日を送るわけにも行きますまい。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
明暦めいれき三年、かれの三十歳頃、ようやく具体化されて駒込こまごめの下屋敷に修史館しゅうしかんをひらき、当時の名ある学者を史寮しりょうに網羅して、いよいよ実際的な研究と編纂に従事しだした。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
池の周囲には繍線菊しもつけが多く、いまだに名残なごりの花をつけている。ここからうつぎやくましでの林を分け、数町下ると、そこに明暦めいれき三年の爆裂孔で、熔岩トンネルを形作っている鳩穴はとあながある。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
それから明暦めいれき中の本になると、世間にちらほら残っている。大学にある「紋尽」には、伴信友ばんのぶともの自筆の序がある。伴は文政ぶんせい三年にこの本をて、最古の「武鑑」として蔵していたのだそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「ええ、明暦めいれきとある、肝腎かんじんの年号の数字のところが欠けていて見えない、明暦も元年から始まって三年まである、厳有院様げんゆういんさまの時代であって、左様、今から考えると、ざっと二百年の星霜を経ている」
明暦めいれき大火後の吉原が、日本橋から此處へ引越したばかりで、まだ徳川末期の『大吉原時代』の榮華はなく、何んとなく粗野な淋しい道でもありました。
江戸開府以来の大火は、明暦めいれきの振袖火事と明和の行人坂火事で、相撲すもうでいえば両横綱の格であるから、行人坂の名が江戸人の頭脳に深く刻み込まれたのも無理はなかった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
試みに明暦めいれき三年江戸大火の惨状を記述したる『武蔵鐙むさしあぶみ』を見よ。一市人酔中すいちゅう火災に長持ながもちなかに入れられて難をのがれ路傍に放棄せらる。盗賊来つて長持を破るにそのうちに人あるを見て驚いて逃ぐ。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
江戸の火事の恐ろしさは、明暦めいれき天明てんめいの大火を引合いに出すまでもありません。
明暦めいれきの初年、三月なかばの午後。
番町皿屋敷 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
江戸の火事の恐ろしさは、明暦めいれき、天明の大火を引合ひに出す迄もありません。
平次が活躍して来た、寛永かんえいから明暦めいれきの頃は、まだ大したことはありません。
平次が活躍して來た、寛永くわんえいから明暦めいれきの頃は、まだ大したことはありません。