忠顕ただあき)” の例文
そのうえ、はるか伯耆ほうき船上山せんじょうせん行宮あんぐうからも、千種ちぐさノ中将忠顕ただあきが、山陰中国の大兵を組織して、丹波ざかいから洛中をうかがっていた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
千種忠顕ただあきの邸なども近来は、半公卿半武将ともいえる陣装を構えており、つねに義貞をはじめ、目ぼしい武門との連絡を、緊密にもっていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ほ。この忠顕ただあきの世話を、お辺は、さまで心にめいじていてくれたか。いや珍重ちんちょうあたいする。近ごろは信義もすたれ、軽佻けいちょうな奴らばかりが多い中でよ」
という前例もあるので、このたびはと、千種忠顕ただあき、結城判官親光らは、その防禦構築にはあらん限りな力をそそいだ。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
公卿では花山院師賢もろかた、あぜちの大納言公敏きんとし、北畠具行ともゆき、侍従の公明、別当実世さねよ烏丸からすま成輔なりすけ、さえもんのかみ為明ためあき、左中将行房、ちぐさ忠顕ただあき、少将能定よしさだ
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
帝の寵妃ちょうひ、三位ノ廉子やすこなのである。すぐ内からは、侍者じしゃの千種忠顕ただあきが、侍者ノ間からいらえて出て来た。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勅使、千種忠顕ただあきは兵をひきいて、持明院殿へせむかい、持明院統の後伏見法皇、花園、光厳の二上皇をうながして、監禁同様にこれを京極殿へ移しまいらせてしまった。
ここでお待ちしていた洛内軍には、千種ちぐさノ中将忠顕ただあきがあり、足利高氏、弟直義ただよしも見えている。
「このさい、もしご上洛あらば、必ず義貞の要撃をうけて、天皇への御拝顔をとげる以前に、千種忠顕ただあきらのわなにおちいるものと、お覚悟あらねばなりますまい。なぜなれば」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「かねての、ちょうじ合せをふくみ、護良もりなが(大塔ノ宮)と宗良むねながのふたりも、一山の衆徒をひきい、白川口、大津あたりまで出て、待ち迎えんと、書中に見らるる。——藤房、忠顕ただあき
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、清忠は肩をゆすッて笑い、そして列座の千種忠顕ただあきや四条隆資たかすけらと、ふたことみ言ささやきあっていたふうであったが、やがて、その居ずまいを、こころもち玉座の方へ向けて
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、まず藤房が答え、つづいて公敏きんとし忠顕ただあきらも、口をそろえて、いいはやした。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、道誉は階下にぬかずいて、侍側の行房と忠顕ただあきの方へ言った。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とう殿との忠顕ただあき)にはおいででございましょうか」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「しかし、忠顕ただあき
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)