庶子しょし)” の例文
それとも尊卑分脈所載の順序は出鱈目でたらめで、世光以下三人の男子は滋幹より前か、同時ぐらいに生れた庶子しょしでゞもあるのだろうか。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
こう岸本は言って、もしもの場合には自分の庶子しょしとして届けても可いというようなことを節子に話した。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「老臣役だ、そちは当家の庶子しょし竹若と、千寿王のふたりについて、この大蔵の留守をいたせ、よいか」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
総領の衰微はすなわち庶子しょしの分立で、分割相続は日本の国風であったゆえに、家督の制度は久しく存続することが困難であった。この間にまた領主と地頭との論諍はしばしば下地したじ中分ちゅうぶんを促した。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
共に、鎌倉入りの御陣をおつとめ遊ばしたお蔭で、かく御無事なるをえましたが、一方、わが足利家においては、竹若君たけわかぎみと申される庶子しょしの御長男をくされました。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
同じ御隠居の庶子しょしにあたる浜田はまだ島原しまばら喜連川きつれがわの三侯も、武田らのために朝廷と幕府とへ嘆願書を差し出し、因州、備前びぜんの二侯も、浪士らの寛典に処せらるることを奏請した。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
嫡子ちゃくし庶子しょしのあいだに暗闘があるなど、——ようやく亡兆のおおい得ないものが見えだしました。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、表面はどこまでも、竹馬の友である紀伊の庶子しょしと尾張の庶子とが打解けたさまで
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ちょうど同じように三家の庶子しょしで、一方は紀州家の三男、一方は尾州家七男坊として、互いに弓の馬場で騎射を競ッたり、悪たれを言い合ったりした竹馬の友でありますが、今では
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すでに、庶子しょしの竹若君から、ご実子の千寿王さままで、幕府の質子ちしに取られていること。今となれば、ここの不知哉丸いさやまるさまは、取っておきのつぶだねだ。おめおめ渡してたまろうか。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「もう一名の、足利殿の庶子しょし、竹若ぎみは、その後、いかがなされしか」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「が、仔細なございまして、庶子しょしともせず、家にも入れておりませぬ」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ここは浮島ヶ原、このあたりで、足利殿のご庶子しょし、竹若ぎみが、無残にも北条方の武士の手で殺されました。……千寿王どのが鎌倉府内から逃げ出られたあの直後にです。——そのことは、ご存知か」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)