小牧こまき)” の例文
彼が舌を巻いて嘆じて云った——モチにも網にもかからない家康と、またふたたび、小牧こまきにおいて、にらみあいの対峙たいじをつづけるほかなかった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小牧こまきであり、大垣であり、岐阜であり、清洲きよすであり、東海道と伊勢路、その要衝のすべてが、尾張名古屋の城に集中する。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
伏見屋もどうしたろう、そう言って吉左衛門などがうわさをしているところへ、豊川とよかわ、名古屋、小牧こまき御嶽おんたけ大井おおいを経て金兵衛親子が無事に帰って来た。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
弱音を吐くやうだが、小牧こまきの旦那が死んぢや、いづれ公儀の御耳に入るだらうし、三日經たないうちに下手人げしゆにんを擧げるやうにと、宿役人からも折入つての頼みだ。
山崎の合戦、しずたけ小牧こまきの役、世潮はしぶきをあげて移り変ってゆく。しかもこの師弟のあるく道とその姿とは、七年たっても八年経っても変っていなかった。
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
傳七郎はお孃さんのおいうさんと娶合めあはせられて、小牧こまきの後を繼ぐことになつてゐたんだが、師匠の鶴吉との仲が知れて、伯父の大旦那にうんと小言を言はれた上、お優さんと娶合せることも
家康の本陣、小牧こまきにたいして、秀吉の大軍八万余が、東春日井郡ひがしかすがいごおりの数里にわたって、みちみちていた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「お察しの通りだ。實はね、親分、川崎の小牧こまき半兵衞が殺されたんで——」
とくに、こうていたので、秀吉は小牧こまきへさして出陣する前にも、金沢の前田利家へ書を送って
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ともあれ、かれは今、男の四十九歳という最盛期の人生に近づき、外には、小牧こまきに天下分け目の大戦を抱えながら、内には、閨門けいもんの政治にも、なかなか多忙をきわめていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
犬山快捷かいしょうのあと、勝入のむこの森武蔵守が、われも一功名をと、徳川方の本営小牧こまきを奇襲するつもりで、羽黒へ潜行し、かえって大敗を喫したのみか、鬼武蔵とよばれた森長可ながよし
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それがいけねえ、承知なら、機嫌きげんよく、小牧こまき父娘おやこに、会ったらいいじゃねえか」
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
小牧こまき蝶々ちょうちょう
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)