小昼こびる)” の例文
旧字:小晝
岐阜県の北部山間などでは、六月農事のもっともいそがしい時、午後に二度まで出る小昼こびるの二回目を、オトコビルと呼ぶ名もある。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
また一時いつとき廬堂いほりだうを廻つて音するものもなかつた。日は段々けて、小昼こびるの温みが、ほの暗い郎女の居処にも、ほと/\と感じられて来た。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
延胤は東京からの帰りみち下諏訪しもすわへと取り、熱心な平田篤胤あつたね没後の門人の多い伊那の谷をおとない、清内路せいないじに住む門人原信好のぶよしの家から橋場を経て、小昼こびる(午後三時)のころに半蔵の家に着いた。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
また一時いっとき廬堂いおりどうを廻って、音するものもなかった。日は段々けて、小昼こびるぬくみが、ほの暗い郎女の居処にも、ほっとりと感じられて来た。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
これに対して九州の一部、たとえば佐賀県の三養基みやき郡などでは、おなじ小昼こびるの食事をヤーノメシ(あいのめし)ともいっている。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そうしてこれも小昼こびるのように、午後を主として午前のを朝ケンズイ・四つケンズイといったり、あるいはまた一方を七つケンズイといったりしている。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ようべの嵐に、まだ残りがあったと見えて、日の明るく照って居る此小昼こびるに、又風が、ざわつき出した。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)