小山田おやまだ)” の例文
信長のぶながの子、織田城之助おだじょうのすけは、小山田おやまだを見るよりその不忠不人情を罵倒ばとうして、褒美ほうびはこれぞと、陣刀じんとうせんのもとに首を討ちおとした。——そういう例もある。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何故なぜと云って、この記録の重要な部分をす所の小山田おやまだ氏変死事件は、まだまだ世人せじんの記憶に残っているのだから、どんなに変名を用い、潤色じゅんしょくを加えて見た所で
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
大猷院殿たいゆういんでんの寛永の末ごろは、草ばかり蓬々とした、うらさびしい場所で、赤羽の辻、心光院の近くまで小山田おやまだがつづき、三田の切通し寄り、ひし河骨こうぼねにとじられた南さがりの沼のまわりに
ひどい煙 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
小山田おやまだ、江戸、葛西かさいなど七党の兵二千余騎が集められて、再び三浦の衣笠きぬがさの城に攻撃をかけ、一日一夜攻め続けて大介は討ちとり、残った子供たちは九里浜の浦より舟で安房、上総へ渡った