奠都てんと)” の例文
奠都てんと三十年祭が、全市こぞって盛典として執行されたおり、種々の余興が各区競って盛大に催された。とりわけ花柳界の気組きぐみは華々しかった。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
そのころ奠都てんと祭というものがあって式場は多分日比谷ひびやだったようにおもう。紅いはかま穿いた少女の一群を見て非常に美しく思ったことがある。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
京都の四方にも無数の小野があり、その中では琵琶湖びわこ西にあるもののごとき、奠都てんと以前よりすでに住民の家号になっていた。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
明治三十一年に奠都てんと三十年祭が上野に開かれた。桜のさいていた事を覚えているので四月初めにちがいない。式場外の広小路で人が大勢踏み殺されたという噂があった。
花火 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
奈良は奠都てんと千百年祭で、町は球燈きゅうとう、見せ物、人の顔と声とで一ぱいであった。往年おうねんとまった猿沢池さるさわのいけの三景楼に往ったら、主がかわって、名も新猫館しんねこかんと妙なものにけて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
この間に世間は一変し、世は王政維新となり、そうして奠都てんとが行なわれた。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
きゆみで射ようとすると汝疑うなかれといいながらすすみ来て、この地に福がない、君の子孫は西涼の王となるはず故酒泉しゅせんに遷都せよと勧めて去った、すなわち酒泉に奠都てんとし西涼国を立てたという
平安奠都てんとの前後から、さかんに記録に現われる神階の陞叙しょうじょなどは、失政だったと言ってよかろう。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)