千種忠顕ちぐさただあき)” の例文
彼の軍功は、顕著けんちょである。——おそらくは円心自身も、名和長年や千種忠顕ちぐさただあきには劣らぬものと自負していたにちがいない。
この月の二十八日に、笠置かさぎの城は落城した。そうしてその城にこもっておられた、主上をはじめたてまつり尊澄そんちょう法親王、藤原藤房、同じく具行ともゆき千種忠顕ちぐさただあき、尊貴縉顕しんけんの方々は、関東軍の手に渡った。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
たたみを上げ、ふすまを取り払い、そこの大床に千種忠顕ちぐさただあきが武将姿で床几に腰かけ、そして脚長な卓の上には、戦図や書類がいっぱいに拡げてあった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
親船へ移って来た岩松吉致は、すぐともの船頭小屋にみちびかれて、侍者の千種忠顕ちぐさただあきと一条行房に会っていた。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高徳は七条口でよく戦い、兵庫にも参戦したが、日ごろ千種忠顕ちぐさただあきと折合いがわるかったので、それを機にまた元の、備中熊山の郷里に帰っていたものだった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
俄に南へいそいだ御車には、万里小路藤房、季房すえふさ源中納言げんちゅうなごん北畠具行、六条ノ少将千種忠顕ちぐさただあき按察あぜちノ大納言公敏きんとしたちの諸公卿、ほか随身をいれても、わずか二十名前後。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうして、正成が、いちど千早へ引きあげて行くまでには、信貴山しぎさん毘沙門堂びしゃもんどうにある大塔ノ宮へも、洛中の千種忠顕ちぐさただあきへも、使いをたてて、つぶさにここの戦捷せんしょうを報告していた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「六条ノ少将千種忠顕ちぐさただあき卿を、つい来る途中の加茂神社に、お待たせしてあるのでございます」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宮が過ぎると、後衛の軍には、千種忠顕ちぐさただあきが、一千余騎で、炎日の下をつづいて行った。
とあり、これで見ると、わざと先帝の姿を、行く行く人目にさらし歩いている風であり、侍者じしゃの一条行房、千種忠顕ちぐさただあきの二人は、輿とも馬ともしてないから、歩かせられたのかもしれない。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ム。千種忠顕ちぐさただあきの手について、去年、洛中の合戦でもよう働いたあの高徳か」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宮方一味の急先鋒と目されている千種忠顕ちぐさただあきの弟とやらであった。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのほか、千種忠顕ちぐさただあき坊門ぼうもん清忠きよただや、あまたな殿上すべても
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
との説もあったが、義貞や千種忠顕ちぐさただあきの意見として
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一条のとう大夫たいふ行房ゆきふさと、六条の少将千種忠顕ちぐさただあきだ。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
千種忠顕ちぐさただあきは今、そういって、いちど声をのんだ。
千種忠顕ちぐさただあきに会って逐一胸のうちをはなそうか。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それには、千種忠顕ちぐさただあきがおこたえした。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)