三吉さんきち)” の例文
三吉さんきちと云うんです。以前の飼主の香具師がそう呼んでいたんです。つまり戸籍面は黒瀬三吉という事になっているんです」
恐怖王 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
が、その徳利を奪い取る前に、船頭の三吉さんきちは徳利の口を自分の口に当てて、少しばかり残っていた赤酒を、しずくも残さず呑み干してしまったのです。
これは抽斎が「三坊さんぼうにはひな人形を遣らぬかわりにこれを遣る」といったのだそうである。三坊とは成善しげよし小字おさなな三吉さんきちである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
次いで佐藤三吉さんきち博士の診察を受けたこと。今はすでに重篤の状態にあることをも云つた。そして、赤彦門下の三人の女流は岡ふもとさんと一しよに明日信濃しなのに立つこと。
島木赤彦臨終記 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
長二にさせようと、店の三吉さんきちという丁稚でっちに言付けて、長二を呼びにやりました。
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「あ、あすこへやってきた。三ばん見はり小屋の三吉さんきちだな。なにか重大な知らせをもってきたのにちがいない。」
奇面城の秘密 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
安政四年には抽斎の七男成善しげよしが七月二十六日を以て生れた。小字おさなな三吉さんきち、通称は道陸どうりくである。即ち今のたもつさんで、父は五十三歳、母は四十二歳の時の子である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
大法寺の経蔵に向った二人の手先は、何の造作ぞうさもなく、その中で馬鹿囃子をやっている、押上の笛辰と、その弟子で太鼓の上手と言われた、三吉さんきちを縛って来ました。
六月三十日に保の長男三吉さんきちが生れた。八月十日に私立渋江塾を鷹匠町たかじょうまち二丁目に設くることを認可せられた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)