三位さんみ)” の例文
「父は准大臣じゅんだいじんで従一位の家、兄に三位さんみ、弟には従五位下じゅごいのげ兵衛権佐ひょうえごんのすけがある。その中で育った女、うじと生れとには不足がないけれど……」
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
更衣に三位さんみを贈られたのである。勅使がその宣命せんみょうを読んだ時ほど未亡人にとって悲しいことはなかった。三位は女御にょごに相当する位階である。
源氏物語:01 桐壺 (新字新仮名) / 紫式部(著)
アンセルムスは、るい概念を実在であると見る立場に基づいて、三位さんみ畢竟ひっきょう一体の神であるという正統派の信仰を擁護した。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
御子三位さんみの中將殿(維盛)は歌道かだうより外に何長なにちやうじたる事なき御身なれば、紫宸殿ししいでんの階下に源家げんけ嫡流ちやくりう相挑あひいどみし父のきやうの勇膽ありとしも覺えず。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
三位さんみ廉子やすこ准后じゅんごうづきの女房らが、そのたび御座ぎょざのおあかりに風ふせぎの工夫をしては、ともし直すが、つけると、またすぐ消されてしまう。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
古来から宇治十帖うじじゅうじょう紫式部むらさきしきぶむすめ大弐だいに三位さんみの手になったといわれていた。徳川期の国学者は多くそれを否定した。私も昔はそうかと思わせられた。
またわが『平家物語』における三位さんみ通盛みちもりの妻小宰相こざいしょうの自殺の如きもこの類である。実にある場合には自殺が最上のそして最美の道と見ゆるのである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
とうたったので、とうとうまた一つくらいがのぼって三位さんみになり、源三位頼政げんざんみのよりまさばれることになりました。
(新字新仮名) / 楠山正雄(著)
この年の六月二日、京都本能寺に在った右大臣信長は、家臣惟任これとう日向守光秀の反逆に依って倒れ、その長子三位さんみ中将信忠も亦、二条の城に於て、父と運命を共にした。
賤ヶ岳合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
勿論位階の方で三位さんみ以上になれば別に官職はなくても公卿に算えられるわけで、俊成も正三位皇太后宮大夫こうたいごうぐうだいぶまで登ったのだから、最後には公卿に列したには違いないのだが
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
陛下が好意と仰せられるのは、去年尚侍になって以来、まだ勤労らしいことも積まずに、三位さんみに玉鬘を陞叙しょうじょされたことである。紫は三位の男子の制服の色であった。
源氏物語:31 真木柱 (新字新仮名) / 紫式部(著)
三位さんみつぼね、阿野廉子やすこは、仰せと聞くと、いま夕化粧もすましたばかりなのに、もいちど櫛笥くしげへ入って、鏡をとりあげ、入念にまゆずみ臙脂べにをあらためてから立った。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
過去に経験のないひとみをする源氏に同情して、現在の三位さんみ中将は始終たずねて来て、世間話も多くこの人から源氏に伝わった。まじめな問題も、恋愛事件もある。
源氏物語:09 葵 (新字新仮名) / 紫式部(著)
いん師賢もろかた、四条隆資たかすけ洞院とういん実世さねよ、伊達ノ三位さんみ遊雅ゆうが、平ノ成輔なりすけ、日野資朝すけとも
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は奥様のもう一人のほうの乳母の忘れ形見でございましたので、三位さんみ様がかわいがってくださいまして、お嬢様といっしょに育ててくださいましたものでございます。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「されば、あの僧は、亡き皇后大進有範だいしんありのりの子にて日野三位さんみ猶子ゆうしにてとか」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
左大臣家の公子たちもりっぱな若い官吏で、皆順当に官位も上りつつあったが、もうその時代は過ぎ去ってしまった。三位さんみ中将などもこうした世の中に気をめいらせていた。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「六条の三位さんみ範綱さまのお館を」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
源氏が日を暮らしびているころ、須磨の謫居たっきょへ左大臣家の三位さんみ中将がたずねて来た。
源氏物語:12 須磨 (新字新仮名) / 紫式部(著)
三位さんみ中将も来て、酒が出たりなどして夜がふけたので源氏は泊まることにした。
源氏物語:12 須磨 (新字新仮名) / 紫式部(著)
殿様は三位さんみ中将でいらっしゃいました。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)