「愛怨峡」における映画的表現の問題「あいえんきょう」におけるえいがてきひょうげんのもんだい
「愛怨峡」では、物語の筋のありふれた運びかたについては云わず、そのありきたりの筋を、溝口健二がどんな風に肉づけし、描いて行ったかを観るべきなのだろう。 私は面白くこの映画を見た。溝口という監督の熱心さ、心くばり、感覚の方向というものがこの作 …