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輪王寺宮慈性親王病すみやかなるをもて、能久親王職をがせ給ふ。いで慈性親王薨ぜさせ給ふ。将軍徳川慶喜政権を朝廷に還しまつる。
能久親王年譜 (新字旧仮名) / 森鴎外森林太郎(著)
しかもその修養のうちには、自制とか克己こっきとかいういわゆる漢学者から受けいで、いておのれめた痕迹こんせきがないと云う事を発見した。
長谷川君と余 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
歌比丘尼が直接に懺悔物語を作つたといふことは言へないが、絵解きや其前の形式をいだ者が、次第に作つて行つたものと言へるだらう。
お伽草子の一考察 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
そうして小三治こさんじがせたいからとここで師匠燕枝承諾のうえで、あらためて禽語楼小さん師匠の門人となり、柳家小三治を名のりました。
初看板 (新字新仮名) / 正岡容(著)
自分はお小夜の歓心を買って小法師の跡をいだ上、いろいろ小細工をして、先代と甲子太郎までも遠ざけていたことです。
ラヴィニアーニ住み居たり、伯爵コンテグイード、及びその後貴きベルリンチオーネの名をげる者皆これより出づ 九七—九九
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
中山氏は北海道樺太からふと地方に事業を起し、今日では樺太屈指の豪商となっている。で、その弟息子に金谷の家の跡をがせることになっております。
木下秀吉が明智を亡ぼし、信長の後をいで天下を処理した時のいきおいも万人の耳目を聳動しょうどうしたものであった。秀吉は当時こういうことをいい出した。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
元禄げんろく庚午かうごの冬、しきりに骸骨がいこつを乞うて致仕ちしす。はじめ兄の子をやしなうて嗣となし、つひにこれを立て以てほうがしむ。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
現時向島の妓街に夢香荘とよぶ連込宿がある。小野湖山の風流をぐ心であるのかどうか、いまつまびらかにするを得ない。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
真打しんうちになったら自分の名をがせてやろうとまで言われるようになったのに、若いとき身を持ち崩したたたりで、悪い病気がとうとう脳にきて、その頃同棲どうせいしていた
三つの挿話 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
日本派の俳人河東碧梧桐氏も一流奇矯の書体で、これまた書名を馳せ、明治の大家一六居士の息たる巌谷小波山人は父翁の衣鉢はがぬが、俳人らしい飄逸の書風である。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
きっと父の跡をいで酒屋の店の帳場に坐らされて、そこで老いたに違いなかったろうが、父が早くいなくなったのでその後は何んでも自分の思う通りに通って来たのである。
旗野の主人果ててのちぐ子とても無かりければ、やがてそのいへ断絶たえにけり。
妖怪年代記 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
森田草平もりたそうへい氏の四十八人目と云うのや、谷崎潤一郎たにざきじゅんいちろう氏のまんじ、川端康成氏の温泉宿、野上弥生子のがみやえこ氏の燃ゆる薔薇、里見弴さとみとん氏の大地、岩藤雪夫いわとうゆきお氏の闘いをぐもの、この七篇の華々しい小説が
文学的自叙伝 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
ルーコンネットはまた我らのここにこの協会を起こすに至りたるはひっきょう有名なるブルンチュリーの遺志をぎたるものにして我ら博士の功労を追謝せずんばあるべからずといえり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
三桓は、代々大夫の職をぎ、孔子の時代には、相むすんで政治をわたくしし、私財を積み、君主を無視し、あるいはこれを追放するほど、専横のかぎりをつくして、国民怨嗟の的になっていた。
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
「海老蔵が団十郎をぐのか、それとも団十郎が海老蔵になるのか」
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
自然その職をぐを忌み、怠り勝ちになったものらしい。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
うらわか戀情れんじゃう其跡そのあとぐべく起出おきいづる。
五百の姉安をめとった長尾宗右衛門は、兄の歿した跡をいでから、終日手杯てさかずきかず、塗物問屋ぬりものどいやの帳場は番頭に任せて顧みなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
村々の部曲の中で、保護者を失つても、自活の出来るのは、主として手職をうけいだ家である。其以外の者のみじめさは、察しるに十分だ。
国文学の発生(第二稿) (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
ぐ宗次郎だろうが、その宗次郎に疑いをかけるように仕向けたのは、ちょっと見たところ、五左衛門が死んで一番損をするような人間に違いない
由緒ある三遊亭圓太の名跡いだは、あの代地河岸へ越してすぐ、手っぴどく小言いわれてずらかってしまった、なんとあの弟子の小勇であったのだった。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
此はリニエールとてカールボリ家の誇また譽なり、彼の力をぐものその後かしこよりいでざりき 八八—九〇
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
「うん、どうせ家をいだって立ん坊、襲がなくったって立ん坊なんだからいっこう構わない」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
既にして弘庵は土浦侯土屋相模守彦直さがみのかみよしなおの知遇をこうむり、その世子寅直のために経書を講じた。天保九年戊戌十二月世子の封をぐに及んで賓師となって土浦に赴き一藩の政務にあずかった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
(おまえも、わしの弟子となって、侍の子に返ったしおに、祖先の名をいだがよい)
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくの如き才を草莱さうらいに埋めて置かないで、下総守になり鎮守府ちんじゆふ将軍になりして其父の後をがせ、朝廷の為に用を為させた方が、才に任じ能を挙ぐる所以ゆゑんの道である、それで或は将門をすゝむる者もあり
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
錦橋は初め京水を以て嗣子となしてゐて、後にこれを廃し、門人村岡善次郎をして家をがしめた。京水は分家して町医者となつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
だから此点から見れば、短歌の匂いをいで、而も釈教歌から展開して来たさびを、凡人生活の上に移して基調とした芭蕉の出た所以ゆえんも、納得がゆく。
歌の円寂する時 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
天才少年的な逸話はないが、一歩一歩のし上げて行って、三十歳前後から世界の大家の班に列し、ダルベーアの衣鉢をいだ第一流のヴァチュオーソである。
あせってくだらなく名を売りたがったり、むやみに昔の大看板の名をいでみたとて、世間は案外に甘くなく、そんなことで売り出せるものじゃありません。実力——やっぱり実力です。
初看板 (新字新仮名) / 正岡容(著)
「それに一は長男だから、どうしても宗近の家をがなくっちゃならずね」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
幽林が晩年の通称九蔵をぎ丹羽村の家を継いだ。その生れた年月は詳でない。四男名は茂、後に基祐、字は某。通称次郎右衛門、号を杉井という。その没した年より考うれば寛政六年の生れである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「父の職をそのままぐがよい」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
枳園ののちはその子養真の長女おこうさんがいだ。おこうさんは女流画家で、浅草永住町ながすみちょうの上田政次郎まさじろうという人のもとに現存している。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
此が其伝統をいだ二条流、其から更に連歌の平凡趣味と混淆して悪化して行つた後世の堂上風を導いたのである。
少女お六が誘拐かどわかされるとき、父親の鎌井重三郎かまいじゅうざぶろうは人手にかかって非業の死を遂げ、家禄は没収、母親はそれを苦に病んで父の後を追い、その後をぐ者もなく、鎌井家は没落
「藤尾、このうちと、わたしおとっさんから受けいだ財産はみんな御前にやるよ」
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ぐには今更偉過ぎる人か、偉くなさ過ぎる人たちばかり。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
これに依つて職を免じ、遠江国浜松より棚倉へ徙された。水野左近将監忠邦は唐津より来つて其後をぎ、長昌は又忠邦の後を襲いだ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
此をいだ者は、個人の体験を超えて、而も内的事実である様に、詠む事であつた。其あはれを更に、風物現象に絡めて、えんなる仮象を起さうとした。
そのうちの一人は、三國屋の養子民彌といふ良い息子と一緒にされて、いづれは三國屋の身上をぐことになつて居るのですが、そのうちの一人が今朝喉を突いて死んで居たんで
兄弟が死に絶えたあと、自然健三の生家の跡をぐようになった彼は、父が亡くなるのを待って、家屋敷をすぐ売り払ってしまった。それで元からある借金をして、自分は小さなうち這入はいった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
嘉永元年八月二十九日に、八十歳で歿したのだから、抽斎がこの二世劇神仙ののちいで三世劇神仙となったのは、四十四歳の時である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
五代目が田之助或は先輩の岩井半四郎などの芸をよく見ていたのは、尾上家の伝統を正しくぐ者であった。
役者の一生 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
母親はそれを苦に病んで父の後を追ひ、その後をぐ者もなく、鎌井家は沒落ぼつらく、お六は再び惡者に引戻され、美貌と器用さを重寶がられて、浮ぶ瀬もなく惡事に沈淪ちんりんして居たのです。
りてぎ受く
倫敦塔 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
福山志料の町医玄益は此寧成か、或は其父かであらう。順成は其後をいで表医師となり、文化九年奥医師に進み、文政十一年に歿した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)