薩摩潟さつまがた)” の例文
やがて、法勝寺執行しゅぎょう俊寛、丹波少将成経、平判官康頼の三人は、清盛の命令で薩摩潟さつまがた鬼界ヶ島きかいがしまに流されることになった。
鬼界きかいが島の海岸。荒涼こうりょうとした砂浜すなはま。ところどころに芦荻ろてきなどとぼしくゆ。向こうは渺茫びょうぼうたる薩摩潟さつまがた。左手はるかに峡湾きょうわんをへだてて空際くうさい硫黄いおうたけそびゆ。いただきより煙をふく。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
もし、それが都であったならば、秋がけて、変りやすい晩秋の空に、北山時雨しぐれが、折々襲ってくる時であるが、薩摩潟さつまがたの沖遥かな鬼界きかいしまでは、まだ秋の初めででもあるように暖かだった。
俊寛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
どうやら薩摩潟さつまがたに着き、薩摩から鬼界ヶ島へ渡る商人船の船着き場で、この土地に見慣れぬ有王の風体を怪しむ者がいて、着ている物をはぎとられて調べられたが、元結の中に隠した姫の手紙は
右の通り御轉任ごてんにんにて八代將軍吉宗公と申上奉つる時に三十三歳なり寶永はうえい四年紀州家きしうけ御相續より十月とつき目にて將軍に任じ給ふ御運ごうん目出度めでたき君にぞありけるこれよつて江戸町々は申すにおよばず東は津輕つがるそとはま西は鎭西ちんぜい薩摩潟さつまがたまでみな萬歳ばんざい
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)